11/18/06
女性の地位と女性比率の重要性1
離婚が明治時代よりも江戸時代の方がしやすかった原因は、1男一女と言う人間の少なさによるでしょう。
・・・少なければ価値が出ますし、多ければ、いくら人権、人権と言っても、市場価値が低下するのです。
しかも、女性が少なかったので、実家に帰れば直ぐに再婚話は山ほどあったのです。
江戸の町は、武蔵野の田舎に、いきなり大都会が出現したので、最初は人夫や武士ばかりで、女日照りの社会でしたので、女性が大事にされたといわれていますが、これは草創期だけでは有りません。
江戸時代末期に至るまで、ずっと田舎から男の若者が次々と流入していたので、いつも女日照り社会だったことを、02/10/05「江戸の人口構成1(江戸には江戸っ子はいなかった!)」
のコラムで書きました。
ところで、それなら田舎は女性の方が多いかと言うとそうでもなかったのです。
1男1女が最大原則になると、子供が一人も生まれない家庭(統計的には約2割です)または、男ばかり二人の家庭が続出します。
なぜかと言うと、男が続けて二人生まれた時点で、もう一人男が生れたら大変でした・・・当時男の就職口は、原則として養子しかなかったので、2人も養子先を探すのは、ほぼ不可能です・・・から、女の子が欲しくとも3人目の出産は諦めるのが普通でした。
もっと言えば、一人目が男であれば、その時点で、次にまた男子出産のリスクを考えて止めてしまうことが多かったでしょう。
他方で、女の子が先にうまれても、もう一人男子が生まれる期待で生みますので、次の男子が生まれたら、めでたく「1男1女」の理想型と言う訳です。
この流れから言えば、1姫2太郎の順に生むのが理想であると言う諺の意味が分かるでしょう。
ちなみに女子が続けて生まれると、直ぐに殺すと言うか間引くことが多かったようです。
・・・イキオイ女性の方が、日本全体で圧倒的に少なくない社会だったのです。
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