11/17/06

人口政策と家督相続制度4

江戸時代の離婚は比較的自由であった・あるいは一般に言われている以上に女性側に比較的に自由があった事情を、02/17/05「離婚の自由な社会1〔江戸時代の離婚制度〕民法122」〜「離婚の自由な社会5」まで連載しました。
明治になって、4人でも5人でも、生めるだけ子供を生む(猫や犬並です)時代が来ると、建前では
     「いつでも帰って来いよ」
と言いながらも、嫁いだ娘・・妹が本当に家に帰ってくると大変ですから、明治以降離婚は事実上難しくなりました。
ちなみに最近離婚が増加しているのは、昭和40年代ころから、江戸時代同様に少子化・せいぜい子供が1人とか2人しかいない時代が、続いていることの影響が大きいでしょう。
離婚の自由・・女性の経済力が重要ですが、女性自身の経済力が弱かった昭和年代にも、戻るべき家庭に充分な経済力があれば、離婚の自由の余地が広がるのです。
1男1女で、しかも核家族時代で長男も独立していれば、たまたま子供を連れて娘が離婚して戻ってきても大したことがないので、
  「辛いことがあれば、無理に我慢しないでいつでも戻っておいで」
と言うのが、普通の親心でしょう。
昭和40年代から、子供を一人か2人しか生まなくなったのは、国民も賢くなって、
    「子沢山は親にとっても、子供にとっても不幸なものだ」
という意識が、定着したからではないでしょうか?
こういう意識変化が、少子化の源だとすれば、保育所の増設や女性の育児休業制度の拡充では、このトレンドを変えられないでしょう。
(政府が、明治政府のまねをして再び「生めよ増やせよ」と音頭を取って、笛を吹いたくらいでは、踊らない程度に女性が賢くなったのです・・・良いことです。)
これまで紹介しているように、領地拡大、新田開発が終わった江戸時代中期以降には、一男一女社会でしたから、女性側からの離婚は明治時代よりもかなり自由にやって来られたのです。



関連ページリンク

Powered by msearch
稲垣法律事務所:コラム:検索

検索ベースはこちらから

 


コラムTOP

リンクを当コラムにはられる方はお読み下さい

©2002, 2003, 2004, 2005, 2006, 2007, 2008 稲垣法律事務所 ©弁護士 稲垣総一郎
Design / Maintained by Pear Computing LLC



ブログ
株式投資