11/17/06

人口政策と家督相続制度2

昭和初期の政治家は、日本列島防衛のためではなく、兎も角国民を食わせるために、農民を外へ押し出すしかなくなった結果、満州に進出するしかなくなってしまったと言うところでしょう。
北米や中南米への移民政策は、戦前からもあったのですが、段階的に制限を加えられるようになったことから、細々とした移民政策ではどうにもならなくなっていたからです。
日中戦争は「ろ溝橋の一発」に始まるような記述が多いのですが、(小泉総理も中国訪問時にそこを訪問しました)人口政策の失敗による満州進出に端を発したものです。
満州進出・・・そのカモフラージュとして建国した満州建国に対するリットン卿の調査報告が、日本を国際連盟脱退・・・世界からの孤立化に追いやった原因でした。
近年、核査察関係でよく名前の出るエルバイダ事務局長報告の影響力に似ています。
イラクはそれで、戦前の日本並にやられてしまいましたが、北朝鮮は中国、ロシアの後ろ盾があって踏ん張っています。
ところで、この話しは、家督相続制度が何故機能しなかったか・・その大元は人口問題であると言う観点から書いているうちに、第二次世界大戦の原因・・・・横に行ってしまったものです。
もう一度ここで、11/05/06・・・2で書いた「人口政策と家督相続制度1」の続きに戻ります。
江戸時代初期の子沢山は、拡大すべき領地があり、あるいは開発すべき新田があって分家していたのですから、失業して本家に戻るリスクは有りませんでした。
(新田の開発が軌道にのってから、分家するものでしょうから、無理がないのです。)
これに比べて、明治政府の子沢山政策は、行く当てもないのに見込み生産でしたから、大変です。
これまで書いて来たように、家督相続制は、イザと言うときに跡取が責任持ってくれると言う触れ込みでした。



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