11/16/06

農業の集約化(離農の実現と出稼ぎの功罪)

農民は、いかに窮乏化しても、(例えば秩父困民党事件を、03/07/04「武術からスポーツへ 4(鎖国と平和主義)」で紹介しましたが)、土地にしがみつくだけでした。
戦前までは、家督相続からあぶれた一家内の弱者・・・次三男や娘などが、都会に搾り出されていたのですから一種の窮乏の結果でしょう。
(分家出来ればするのですが、分家出来ないので、都会へ放出していたのですから、必然的に弱者からの順となります。)
戦後の出稼ぎ時代になると、逆に一家の大黒柱・・強者が先に出稼ぎに出て、弱者である妻や娘などが田舎に残るパターンになったのです。
進学による都会への移動も、弱者である女性が最後になります。
地方・僻地に行くと、大したことのない職業にも、気の利いたキレイな女性が働いていることが多いのは、こうした理由によるものです。
こうした観点から見ると、「京女にあずま男」と言うの組み合わせは損で、田舎にはいい女性が残っていることが多いので、都会の男が田舎の女性と結婚したほうが得になるのかも知れません。
勿論これは冗談で、正確には、「京女・・すなわち女性は、みやびな文化が売りものである」と言う意味ですから、冗談を真に受けないで下さい。
兎も角、こうして高度成長期以降、農村部から都会への出稼ぎその他の流出は、強者からの順になったのです。
農民が一家揃って土地を棄てるようになったのは、戦後の高度成長で出稼ぎが常態化して、農地との関係が希薄化して後のことです。
出稼ぎ形態は、窮乏による離農とは違い、一家の主である跡取・・働き盛りのお父さんが冬の間約半年も都会に出たままと言う生活形態ですから、(東北農民の場合)次第に、都会生活に慣れてしまいます。
都会での現金収入が、生活の中心になってくると、5反歩しかない農民も、2町歩所有の農民も、都会での日当は同じですから、人並の農業収入のない零細農家や過疎地から、順次一家挙げての都会移住が始ります。
(これが、政府の期待する農地の集約化ではなく、農業の出来ない僻地の過疎化・・放棄農地の進行に繋がるのです。)



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