11/14/06

受験技術の発達と国民の軽薄化4(一寸した才能)

最近では、受験生減少に対応して、「一芸に秀でれば良い」と言う合格枠が流行です。
これなどは一見思考が新しいようですが、特定分野で格段に優れていれば別ですが
     「ちょっとでも、優れていれば良い」
となってくると、内実は何も知らなくとも良い学生を増やしているだけの、隠れ蓑となるでしょう。
スポーツ選手などで明らかですが、いろんな分野で人並にちょっと優れているだけ(スポーツで言えばプロ野球のレギュラー、または社会人野球で選手になれる程度)で、入学を許していると、一種の裏口入学制度になってしまいます。
スポーツ系の場合は、知的能力が劣ってるのは公知のことですから、害がなかったのですが、知的分野・・・例えば将棋だけできれば良いとか、各種分野に広がってくると見分けが付かなくなってきます。
お金であれば、桁違いの寄付(ビル1棟くらいの寄付)が出来る親なら、息子が少しくらいボンクラでも、それなりの遺伝子があるでしょうから、そのうち何人かは変わった方向で芽を出すかもしれません。
また、こうした大金持ちの息子はそうはいないでしょうから、1学年5000に以上の大学に年に一人や二人入っても実害がないでしょう。
そうでなくて、一寸した裏金ではいれる程度なら、単なる不正の助長でしかない上に数が多くなりますので、そうした学性が学内の多数を形成すると大学のレベルが下がってしまいます。
ですから、どのような分野でも、ちょっと人より何かで優れている程度なら、世間にいくらもいますので、かなりの数になってしまう危険があります。
そして、いろいろな分野で、ちょっと才能がある程度の学生を、学業成績に拘わらずに入れていると、学内の大多数がまともな教養のないものばかりになってしまう危険性があります。
学業成績に拘わらず入学させる仕組みは、まわりに対する影響も大きいのでよほど厳重な絞込みをしないと、学生の質低下の隠れ蓑になってしまうから禁止した方が良いのです。
経営維持のために学生のレベルを落としてでも多く入学させたいものの、公式レベルを落とせないから、その隠れ蓑としてこうした選抜方法を、「知恵者」が考案したのではないかというのが、今回のコラムでの疑問です。



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