11/14/06
受験技術の発達と国民の軽薄化3(建学の精神は?2)
試験は、その人がその先の教育・・試練に耐えられるかどうかを見るためのものですから、山勘や裏口から別の方法で入っても仕方がないのです。
ところが、各種の裏口入学者(特定科目だけで受かるとか、お金とかコネとかいろいろと言う意味です)が全体の半数以上もいて、入学後も相応の教養がなくとも困らないとなれば、みんないろんな方法での入学を試みるでしょう。
みんなが世界史も世界地理も知らないとなれば、学生になってからも知らないことが恥かしいとも思わないでしょう。
トルコがどの辺にあるか知らないよりも、どこのスパゲッテイがうまいなどの話題の方が重要になっているのではないでしょうか?
大人になっても廻りは同じ知らないもの同士ですから、何も知らないことが恥かしくない・・・日本中が低レベル化していることになります。
日本国内だけでは、英語さえ話せて、パソコンさえ操作できれば、みんなで世界に雄飛できるエリートになったつもりになっているのでしょうか。
英語を話すだけなら、英米の子供も愚鈍者・乞食でも泥棒でもみんな流暢に話せるのです。
予備校批判をしている公立高校や教育委員会自身が、いわゆる「井底の蛙」を量産しているとは、驚きです。
それとともに、こうした受験科目を設定する大学の方にも、大きな問題があるでしょう。
大学は、創立者達の考えた理想的な人材育成のために存在する筈ですが、今では建学の精神を忘れてしまい、先ず経営のための発想が強すぎるのではないでしょうか?
(各大学では、建学の精神を読み返してほしいものです。経営・従業員を養うために建学した大学はない筈です。)
ここ数日前に、地方へ旅行してきましたが、地方へ出かけると、一定の成功をおさめた人の子孫が、美術館などを経営している事例が多いのですが、彼等にとっては創業者?の意向よりも、その美術館などの維持運営が最大の関心事なのは仕方がないでしょう。
しかし、大学関係者は創業者の子孫ではないのですから、建学当時の精神を維持しないで、創業者の遺産にぶら下がっているだけと言うのでは許されません。
建学当時の精神のままでは維持継続が出来ないとすれば、大学関係者は時代に即応した建学の精神に作り直すか、それが出来ないならば、閉鎖するくらいの覚悟が必要でしょう。
これを全くしないで、ただ、受験生集めのためだけに小手先の工夫をするのでは、創立者が草葉の陰で、嘆いているのではないでしょうか?
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