11/13/06
離農政策の失敗2と耕地面積(領土)の拡大政策2
他方、耕地の集約・大規模化による効率向上の発想が、戦前の耕地整理、戦後の土地改良政策に結びついていたのです。
04/14/04「戦後の農業政策1(自作農創設特別措置法と土地改良法1)」で書きましたが、政府としては、明治の初めから、零細農業の大規模化が国是でした。
しかし、西洋とは違い、わが国は根っからの農業社会でしたから、農民から土地を取り上げて大規模化するのは、無理があったのです。
金納で、土地を売らざるを得なくなった農民は、農地を売って都会に出るのではなく、そのまま買主である地主の小作人になってしまったのですから、従来どおりの耕作方法で、少しも農業の大規模化・合理化が進みません。
農民からの土地取り上げの難しさに付いては、農業社会の精神構造の特質として、これまでいろんな角度から書いていますので、検索して御読みください。
ここでは、「一所懸命」に表わされる日本固有の「農地大切」の思想背景が無視できなかった、とだけ書いておきましょう。
いずれにせよ、日本では農民を家族丸ごと追い出すのは、我が国の歴史経過からして無理でした。
その分、土地から離れなかった農民は、共産革命の防波堤になりますし、しかも都市住民も田舎を持っている(御爺さんや親・兄弟が田舎にいる)ことから、過激にはなり難いので、保守政治家には都合の良いことでもあったのですが・・・。
それで、政府は農民を追い出す代わりに多産化を奨励して、次男三男や娘(女工)を都会に出させて、工場労働者を輩出したのですが、そこまでは大成功でした。
そういう意識でやったかどうかは別として、結果的に、こうなったと言うだけでしょうが・・・・。
しかし、その後にブレーキの掛け方を知らなかったために、その咎め・人口増の圧力が吹き出した結果が、第2次世界大戦だったともいえるでしょう。
明治以来、農業の合理化と拡大戦略の2本立てでやって来たのに、合理化のほうは望み薄になり(それでも耕地整理など細々とやっていました)、仕方なしに拡大戦略・・領土拡張に突出せざるを得なくなったのです。
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