11/12/06
離農政策1と耕地面積(領土)の拡大政策1
農民の移住計画について、この機会にもっと深く遡れば、イギリスでは、産業革命の前提として、エンクロージャー・ムーブメントがあって、農民を追い出すことで農業革命・・・大規模化があったのを誰でもご存知でしょう。
私が習ったころの歴史教科書では、近代工業労働者の創出に貢献したことばかりが、強調されていたように記憶しています。
後記のとおり日本では農民の追い出し政策が、うまく行かなかったので、この点を学者があえて無視ないし触れないようにしていただけではないでしょうか?
これまで何回も書いていますが、昭和30年代の権威ある学者・・文部省の教科書検定官と言うのは、戦前の教育で成功した秀才ですから、そういう意識だったのでしょう。
ただし、次世代である私の子供が習ったころには、こうした点をきっちり教えられたそうですから、1世代のあいだに、学者の支持基盤・・あるいは実社会が変ったからでしょう。
この間に、後に書きますが、高度成長期に出稼ぎが活発化し、政府は労せずして、離農政策が進んだからでしょうか?
話を戻しますと、イギリスでは、労働者が増えて、工業の発達に資したばかりではなく、実は大勢の小作人を追い出したことが、農業の近代化・合理化にも多大の影響があったのです。
元々、エンクロージャー・ムーブメントは、経営の近代化のために追い出したのが、始まりですから当たり前と言えば当たり前です。
都市人口・工場労働者が増えれば、その分食べる人間が多くなるのですから、農業生産性の向上は必須だったのです。
明治政府は、このまねをして近代工業化と平行して、何とかして農業の規模拡大・合理化を図っていたのです。
当時はまだ、食料品の大規模な輸入などは思いもつかない時代ですから、富国強兵と言い、兵士、工業労働者を増加するためには、食糧の増産は、至上命題だったのです。
当時の考え・・最近までもそうですが、農業生産を上げると言えば、開墾と農地の大規模化くらいしか思いつかなかったでしょう。
開墾=耕地拡大は、当初北海道への入植や手付かずに残っていた千葉県その他へ開墾で一息ついていたのでしょう。
千葉県だけでなく、利根川流域の開墾も一気に進みました。
(これが限界になると、領土拡張・・満州への移住になってくるのですが、北海道開拓はその先鞭・・実験だったと言うべきでしょう。)
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