11/12/06

人口政策と第2次大戦10(棄民政策・・満州進出)2

生産品(日本では人間)を棄てる(今の言葉で言えば、廃棄処分です)しかないとすれば、満州への移(棄)民政策だったでしょうか?
現在係争中の中国残留孤児の国家賠償訴訟(私も、恥ずかしながら、名前だけの原告代理人になっています)では、国に対する主張のキーワードは「棄民政策」と言うものですが、まさに言い得て「妙」では有りませんか!
満州は、日本防衛の生命線と言うのが、中国(進出の表向きの主張でしたが、満州を最後まで死守していても、日本を防衛できなかったのです。
ご承知のとおり、日本の無条件降伏後にソ連軍が満蒙の国境線を越えて押し寄せて来たのです。
これをみれば、第2次世界大戦では、満州を死守することが国土防衛に何の関係もなかったことから明らかなように、防衛生命線と言うのは名分に過ぎなかったのです。
真実は余剰農民の捌け口(棄民政策)・・・捨て場に使うための、「生命線」であったに過ぎませんでした。
ついでい言いますと、当時今の中国のことを日本では、支那と言いました。
皆さんも最近まで、地方へ行くと時々シナソバと言う看板をも見かけたことがあるでしょう。
清(しん)を中国では当時シナと言い、これが英語のチャイナなどに転じていくのですが、わが国でシナに対して支那と当て字をしていたのですが、アメリカ等西洋諸国のアルフアベットと違い元々漢字の国ですから、漢字を宛てる必要がなかったのです。
そこには、以下のような底意が感じられるでしょう。
すなわち、支とは日本の属国的響きを現し、更に支「那」とは、本邦とか邦人と言う言い回しがあるように、国をあらわす言葉の「邦」の仲間として国民に印象付ける意味合いを持ってたのです。
支那を・・・総合すれば日本=本邦の支分的な国という印象でしょう。
何故、ここで「印象」かと言うと、邦と那とは文字の成り立ちが違うので意味も発音も違うのですが、私のようなそそっかしい人は、視覚的に同じような印象を受けるので、(印刷と違い手書きの場合には殆ど同じです)その狙いがあったのではないかということです。



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