11/05/06
人口政策と家督相続制度1
ところで、江戸時代のように少子化で、1男1女を前提としている場合には、明治政府のように家督相続などと大げさに言わずとも、原則として一人しか相続人がいなかったのです。
(もちろん例外はいつもありますが、制度設計までの必要がなかったと言う意味です)
江戸時代初期には、領地拡大や新田開発などで、次々と分家出来たので子沢山は、社会的合理性がありました。
これが、体制の安定で領地拡大が終わり、新田開発が下火になると、武士も農民もすぐに1男1女の社会に転換したのが、江戸時代の凄さです。
こうした経過については、02/09/04「江戸時代の相続制度 9(明治民法の時代錯誤性)」前後で連載しました。
明治初期には、江戸時代と違い、子沢山にするような受け皿がなかったのに、単なる富国強兵策から、「生めよ増やせよ」と言う国是から、子沢山にしたことから長男単独相続を制度化する必要が生まれたのです。
分家する土地もないのに、大勢子どもを産むのを原則にすれば、必然的にあぶれてきます。
「イザとなれば跡取・・・長男が責任を持って引き取ってくれるから安心しろ」
と言うことで、次三男や女性を相続から締め出して都会に放出したのが、明治政府です。
最初の内は、人口増も、兵隊や近代工業化に必要な人材供給源として、吸収されうまくいきましたが、これが1巡すると問題が生じてきます。
工業化あるいは経済活動は、無限に拡大するのは不可能で、その後は安定軌道に移るのです。
兵隊の数も同じでしょう。
そうなると、(30年以上経過すると)農村から都市に出た第2世代の供給だけで、都会の人材需要を自給出来るのが原則で、いつまでも農村部からの人口流入には耐えられません。
都市に出た労働者、エリートまで含めてみんなが子沢山(4〜5人が普通でした)では、尚更です。
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