11/29/05
ところで、仏教は、わが国の自然の移ろいに対する細やかな感性や、万物に霊性の宿る思想などに何故対応出来たのでしょうか?
仏教はインドで生れたとなっていて殆どの方は、インド起源の宗教と思っていらっしゃるでしょうが、今の領域で言えばネパール王国のカラビスバッスス地方で生れたブッダによって開かれたもので、基本的に森林地帯の宗教なのです。
手塚治の漫画ブッダ(釈迦)の知識しかないのですが、現在のインドを前提にした乾燥地帯のイメージで書かれていますが、(子供の小さいころに一緒に読んだきりですので、私の感想が、間違っているのかもしれませんが・・・・・。)実は湿っぽい森林で生れた宗教なのです。
ここからは、例によって私の独自解釈・推論ですが、仏教は万物と言えるほどの多種多様な生物の存在する熱帯の森林で生まれた宗教であるからこそ、万物に対する愛情に満ち溢れた教義になるのではないでしょうか?
勿論森林には邪悪な?(彼らも生きていくために、人の足に噛み付いたりするだけですが・・・・・)小動物も一杯いますから、仏像を見て歩くと、四天王などの足もとにいろんな動物が踏みつけられたりしているのもそのせいです。
(乾燥地帯には、生物種が少ないですよ〜)
仏教はわが国の、森の信仰と共通するものがあったところが、輸入宗教でありながら、無理なく根付いた原因でしょう。
今でも仏教国として残っている国々は、日本を除けば森林率の高い東南アジア諸国ですが、共通項は森林国家と言えるのではないでしょうか?
森への畏敬、信仰心については、これまで、05/26/04「愛国心とは?2(森を大切にする心)』その他で書いて来ました。
わが国へは(心の乾燥した)中国経由で仏教が入りましたので、入ったばかりのころは、法隆寺を見れば分るように殺風景な伽藍配置でした。
これがわが国に定着すると、空海や最澄などの例で分るように、樹木に囲まれた山岳仏教に移っていくのです。
京の都にあっても、お寺には樹木が多いのはそのせいです。
我々が京都へ行っても、仏像を拝みに行くというよりも、あるいは結構な建物や壮大な伽藍を見に行くと言うよりも、結構なお庭の樹木を見に行くのが殆どでしょう。
神仏習合形態が明治以降分離されて、廃仏毀釈されましたが、日本では神社と仏教は森林を大事にする・・その他大和心という点で共通していたので、共存できたのです。
このウエットな精神風土と乾燥した黄河周辺で発達した儒教とは、本質的に肌が合わないところがあるようにも思うのですが、如何でしょうか?
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