11/29/05

日本人の感性2(偶成桐一葉

偶成は朱子作の漢詩として日本では流布していますが、実は朱子の作ではなく日本人の誰かが偽作したものという意見があることも紹介しました。
特に最後の2聯が日本人好みですので、もう一度紹介しておきましょう。
     未覚池塘春草夢     未だ覚めず池塘春草の夢
      階前梧葉已秋聲      階前の梧葉已に秋声
この梧葉とは、「あお桐」の葉のことですが、この大木が5年ほど前まで、私の家の玄関近くにあって、夏はうっそうと繁り、秋になると毎年大きな葉がバサッバサッと落ちてくるのは壮観でした。
秋の到来が目に見えるところから、中国では秋の到来を告げる季節感の代表にされているのでしょう。
長恨歌でも「秋雨梧桐 葉落つるのとき」 と表現されます。
「階前の梧葉已に秋声」と言う熟語から、ヒントにしたのかどうか知りませんが、坪内逍遥作の「桐一葉」と言う歌舞伎のダシ物があります。
三宅坂に国立劇場が出来たばかり(と言っても数年たっていたか?)のころと思いますが、私が始めて国立劇場で見た歌舞伎です。
豊臣家から徳川に使いして大阪城に帰った片桐且元が、淀君から追及される大阪城大広間の場面をテーマにしたものです。
折角の難しい使いをして帰ったのに、労をねぎらわれるどころか、どっちの味方なんだとばかりに追及されてしまって、ほとほと気を落とした且元が、ふと庭前を見ると大きなあお桐の葉がはらりと散る場面です。
片桐の桐に引っ掛けて、
     「桐ひと葉 落ちて天下の秋を知る」
というセリフから取った題でした。
(彼は、大阪の陣では、結局豊臣方に付きませんでした。)
そう言えば元禄忠臣蔵でも、浅野内匠守が切腹のため庭に下りるときに、庭の桜か梅か分りませんが、ハラハラと散る場面があって、辞世の句が詠まれるのです。
   「かぜ誘う 花よりもなお 我はまた、春の名残を如何にとやせむ」
と無念な気持ちを読み込みます。
全部うろ覚えですので、細かい言いまわしは誤りがあるかもしれませんので、そのつもりで御読みください。
日本人は、バサッバサッとグロテスクに落ちて、ガサガサと風で動き回るあお桐の葉よりも、
      「秋きぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞ驚かれぬる」
などと表現される細やかな感性の描写が大好きです。



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