11/29/05

儒教への距離6(神仏習合基礎1)日本人の感性

儒学は、専制君主に親和性があることを書いて来ましたが、それ以前に定着していた仏教はどうだったでしょうか?
仏教では、キリストの「神の前に平等」と同じ思想で、天皇も貴族も庶民もみんな同じく、救済されるべき「衆生」なのです。
仏教では、お釈迦様の教えに動物達(鹿)が集まって聞き惚れる場面がありますが、(鹿苑精舎)キリスト教のように人間だけが万物の霊長として特別扱いされる思想ではなく、万物が等しく救済される思想です。
この思想が、豊かな自然を背景に
    「万物に霊が宿る」
と言う、わが国の思想とマッチしたのです。
仏教は徹底した平等思想ですから、これに馴らされて来た日本人には身分階級の絶対を説く儒学は国民の意識にはマッチしなかったのです。
わが国の気候風土の多様性を、これまで書いてきましたが、それの縦軸と言うか時間の経過による美妙な移ろいの激しさも諸外国には見られない特徴でしょう。
ここから、繊細な感性や無常観や諦観、もののあわれ等が次第に醸成されていくのですが、これが仏教の世界観ともマッチしていたのです。
しかし、儒学にはこうした感性が乏しいというよりも、もともと感性などは問題にしていないように思われます。
黄河流域でも一応春夏秋冬がありますが、厳しい気候下で発達した孔孟の教えには、こうした微妙な感性など問題にしないところがあるのです。
論語は高校時代に少し読んだことしかありませんので、はっきりしたことは言えませんが、そのおぼろげな記憶では「自然に関する細やかな意見」などなかったように思いますが、皆さんの感想は如何でしょうか?
朱子学は、水郷社会の南宋で完成したものですから、少しは社会の複雑系を前提した論理展開になったのですが、それにしても日本に出来上がっていたキメ細やかな感性には、到底及ばなかったのです。
日本人の感性に合うように、日本人が朱子の漢詩として創作したのが、09/30/05
「朝鮮の中小地主層の台頭と朱子学」のコラムで紹介した漢詩「偶成」でしょう。



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