11/27/05

日本科挙導入されなかった理由4(律令体制中央集権

天智天皇時代以降の日本は、防人を動員して国民に多大な負担をかけたばかりか、焦って中央集権化を急いだのですが、中国や朝鮮は海を越えて攻めてこられないことが直ぐに分ったのです。
こうして、わが国では、防人の制度もなくなって安心してしまった社会・・・平安時代が到来するのです。
平和時代到来で、中央権力の存在意義がなくなってしまうと、官僚制を必要とするような中央での仕事もなくなります。
中国の真似をして、造った二官八省の制(大宝律令及び養老律令など)は、いずれもするべき仕事がなくなったので、名目的なものになってしまったのです。
09/26/05「科挙の意義1(能力主義社会)隋の文帝律令体制」で紹介したように、実は科挙制度の発展は、律令体制の運営のために官僚が必要になったことと大きな関係があるのです。
律令制についてはこの後に紹介しますが、一言で言えば、公地公民制ですから国民の農地を全部取り上げて、配給する制度が基本と言えるでしょう。
(しかし、こんな乱暴な制度は、実際政治としては、不可能な理念ではないでしょうか)
今風にいえば、完全共産主義制度ですから、これを実施するためには、膨大な官僚機構が必要になります。
これまで、わが国の明治までの特徴として自営農民社会の存在を書いて来ましたが、その前提でもありますが、わが国では、中国の真似をして採用した律令体制が直ぐに雲散霧消してしまったことも、科挙官僚制の必要性にまで進まなかった大きな原因でした。
中国と日本の律令制の消長については、後の科挙の試験科目との関連で詳しく紹介する予定です。



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