11/27/05

日本科挙導入されなかった理由3(外敵存否中央集権

日本だけでなく、同じく?農業社会化していった中国で専制制が持続し、フランスや西洋で王様の権威が増大していったのは、何故でしょうか?
平原状態のフランスその他の西洋諸国や中国では、日本ほど農業が複雑に入り組んだ状態でなく、単調な自然である分だけ、大きな単位の統一権力成立が容易でした。
気候風土の違いばかりではなく、中国や西洋では、国境を接した異民族が存在し、外敵から守るための強力な軍隊がいつも必要であったことも、王制が発達した大きな原因の一つでしょう。
(万里の長城を造るエネルギーの凄さを想起してください。)
イスラムの脅威に対抗したフランク王国の活躍などから、分るように外敵が求心力を増大させるのです。
外敵に対する軍隊の備えとしては、領邦国家といえども連合軍の指揮者が必要ですから,自ずからその常任指揮者としての地位=王権が強くなっていきます。
連合軍=寄せ集め軍は、弱いものと相場が決まっていますから、国王直属軍が幅を利かすようになっていきます。
日本の古代では、蘇我氏、物部氏の争いのころまでは、大和朝廷と言っても諸豪族の連合体のようなものだったのですが、朝鮮半島での危機感・・・白村江の戦をピークに次第に一体化が強まっていって豪族が淘汰されていったのだと思います。
その完成型が、天智天皇から天武朝のころだったのではないでしょうか?
このときをピークに神話が作られ、律令制の導入がなされ、大宝律令などの法体系の導入がなされていくのです。
江戸時代は封建制度とは言うものの、日本の諸侯は、外敵がなかったので、連合軍の指揮者としての徳川家の軍事力が強化されることがなく、むしろ弱体化していき、幕末の危機に臨んで国防の役に立たなくなっていたことが国民の信を失った原因でした。
日本の封建諸侯は、薩摩の島津や長州の毛利の例を見れば分るように、最後まで独立の武力保持者でしたが、西洋の諸侯は、宮廷貴族化していき、彼らは軍事力の保持者としてとどまることが出来ませんでした。
こうして、武力面では王様が、絶対優位になっていったのです。
フランク王国、スペインなどのイベリヤ半島では、イスラムとの戦いの最前線でしたので、絶対王制成立以前から王権が強かった原因ではないでしょうか。
これに対し、イスラムと関係のない、ドイツ、イタリアなどは、最後の最後まで領邦ないし都市国家でした。



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