11/26/05
複雑な地形に対応して、各地方ごとの複雑にちがう農漁業の生産方法・・ひいては生活習慣や、しきたり、価値観の相違が生まれます。
日本列島ではいくつもの違った価値観・しきたり・・・決まりごと・・・今でいえば法律・・・・があったのですから、これを中央の一つだけの価値観・・・今でいえば法を強制するのは、無理があったでしょう。
古代にはスルコトがなくなった朝廷が全国一律の暦を配って歩いていましたが、南北に長い日本列島では、畿内を基準にした暦では各地方の農作業や漁業の役に立たないので、神棚に棚上げしていたのです。
この事情は、08/14/05「台(気象台から気象庁へ)(天文学はあるのか?)」のコラムの続きとして、後に「暦と神棚の役割(シフト表)(気象情報の比重の低下1)」で紹介する予定です。
多様な地域の存在が、統一的な法やしきたりを必要としない社会・・・・強力な統治権力成立を阻止する方向へ働いたことが、各地方豪族を一掃出来なかった原因でしょう。
官僚制は、中央集権国家ないし、大きな政府に対応するものですから、明治政府が押し寄せる諸外国に対峙するために強力な中央集権国家、啓蒙的専制君主制を目指した段階で、高等文官の給源として試験制度を始めたのは、まさに正鵠を射ていたのです。
高等文官試験の試験科目は四書五経(儒学)ではありませんが、科目試験で人材を抜擢しようとする思想では科挙そのものです。
わが国では、明治まで一回も中央集権国家にならなかったのに、中国や朝鮮では中央集権国家・・専制君主制しかなかったのは何故でしょう。
わが国は、天智天皇以来鎖国化して同時に中央集権化を図ったものの、鎖国化が農業主体社会へ変身させてしまい、その後ついに商業国家に復活しないまま明治維新まで来たことが大きな原因でしょう。
明治維新政府・・・今の政権もそうですが・・・貿易立国ですから、古代の商業国家の再来です。
明治政権と中央集権化は必然でしたが、貿易立国と言う意味からも理解できるでしょう。
これに対し、商業化しないまま、農業社会・・しかも独立自営農民中心社会であれば、中央の威令は必要がないというよりも邪魔なのですから、中央集権化・・・専制君主制とは矛盾関係があるのです。
09/11/05「商業社会(王権)から農本主義へ2(権力不要社会へ1)」以下のコラムでこの関係を紹介しました。
一望千里の平原状態の西洋でさえも、フランク王国が農業化して行く過程で封建領主の割拠状態になっていったのも、もしかしたら同じ原因かも知れません。
(言い出したらきりのない複雑案原因がありますが大雑把な話です)
ましてや地形の複雑なわが国では、農業漁業主体になれば、地域の独自性・ひいては地域権力の維持が必然だったでしょう。
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