11/26/05

日本科挙導入されなかった理由1(地方分権社会1)

科挙制度については、09/27/05「科挙の意義2(選挙と官僚養成1)」から10月初めにかけて中国と朝鮮の制度を紹介して来ましたが、その後科挙の主要試験科目となっていた朱子学に深入りしてしまいました。
そこで、朱子学はこの辺で、一旦終わりにして、科挙制度は中国で長年重宝され、朝鮮に導入されていたのに日本に科挙が導入されなかった理由、その違い、原因は何かについて考えて行きましょう。
わが国では、これまで書いてきたように、仏教中心で儒学に重きをおいていませんでした。
江戸時代になってようやく朱子学が官学に採用されてことを、10/01/05李氏朝鮮(1392〜1910)の成立1(儒学への距離1)」で紹介しましたが、そのセットたるべき科挙制の導入がありませんでした。
その原因の第一には、わが国は中央集権・官僚制国家でなかったことが挙げられるでしょう。
科挙はこれまで書いて来たように、優秀な官僚の供給源を求めることに始ると言ってよいでしょう。
わが国は古代から合議制の国で、専制君主が官僚の力を利用して君臨する社会では有りませんでした。
合議制の裏づけは、自由な農民の存在でしょうが、この存在がある限り官僚制の前提たる専制君主制の成立する基盤がなかったのです。
官僚養成システムを導入する必要性がなかったというべきか、あるいは導入したくとも導入出来なかったと言うべきでしょう。
大化の改新で天下人になった中大兄皇子・天智天皇は、そのころすでに朝鮮半島での戦線が急を告げていたのですから、白村江で敗戦する前から、中央集権化の必要に迫られていたのです。
中央集権化は、対外対抗のための必要性というだけでなく、当時の御手本となる国・・・中国の政治体制がそうだったからという面もあったでしょう。
壬申の乱で天下を取ったばかりの天武・持統朝も、必要に迫られていたのと中国の御手本に従い、これを目指して律令制の採用に踏み切ったのですが、喉元過ぎれば・・・・という論理で、うまく行かなかったようです。
信長も天下統一には、強力な権力が必要でしたので、独裁権力の樹立を目指しましたが、失敗に終わりました。
これまで、09/11/05「商業社会(王権)から農本主義へ2(権力不要社会へ1)」以下で書いて来たように、日本列島は一望千里と言う平原社会ではなく、南北に長く、気候の細かく分かれた複雑な地形ですから、農漁業主体社会である限り、画一的な支配に馴染み難いのです。



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