11/23/05

朱子学地主層支持)と陽明学

中国では、明朝末にかけて科挙が一般に開放されたこともあって、次第に朱子学に陽明学が押されていき、清朝時代になると陽明学は廃れてしまったらしいのです。
君臣の秩序を重視する朱子学が、科挙の受験科目であったので、知識人の殆どがこの学問を学び親しみます。
当時は民間企業というものがないですから、科挙に合格しなければ、何事も始まらないのですから当然でしょう。
こうして試験科目に採用されていることから受験生(・・当時の知識人すべてです。)全般にこの考えが浸透して行ったことが大きいのです。
ただし、それだけならば、日本でも官学になっていたのですから五十歩百歩だったのですが、ある程度朱子学を学び尽くした中から、王陽明のように疑問をもつ人が出てこなくなってしまったことのほうに意味があるでしょう。
その原因は、これまでも書いているように、元々中国社会では専制君主制自体を宇宙の原理のように考えていて、これがおかしいと考える人が出なかったこともありますが、中国全体が農業社会に変身して行った事も大きな原因だったでしょう。
農業社会化の進展によって、新興大地主層が輩出してきましたが、この地主層にとっては、君臣論は地主小作人の関係を維持するのに好都合だったのです。
この結果、儒教的秩序の適応範囲が士大夫以上の社会から、農民層にまで裾野が広がったのが、陽明学衰退の原因になったとも言われています。
李氏朝鮮創立を支えた新興地主層の発展を、10/01/05「李氏朝鮮(1392〜1910)の成立1(儒学への距離1)」で紹介しましたが、同じ原理と言えるでしょう。
科挙受験者の拡大や、小皇帝とも言うべき地主層の誕生で朱子学的秩序の支持層が拡大され、明末から清朝になると、中国では実践的な陽明学が窒息してしまいました。
この結果清朝下では、漢代の儒学の字句解釈学に陥ってしまったのです。
このように見ていくと日本の場合、反体制的な志向になりやすい陽明学が、幕末まで命脈を保った原因が見えてきます。



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