11/23/05
気の発現たる欲望を抑え(持敬)、自分のなかに宿る理を用いてものごとの客観的 な在り方を探求すること(窮理)が肝要であるとされます。
格物致知とは窮理の際の方法論であって、道理のありかを個々の事物に即して探り(格物)、すでに持っている知を推 して未だ知らないことに及ぼすという作業によって究極に至る(致知)こと
をいうのです。
すなわち、理は普遍的であるが、それは特殊の事物の中にあらわれているので、個々の事物を探求することによって普遍的な理を明らかにするこ とができると言うのです。
こうして普遍的な理を追求した結果、君臣名分論に結実するのです。
普遍的な理を追求したと言うのですが、中国と朝鮮の政治体制の研究だけで、(日本のことを全く研究せずに)専制君主制が普遍的な原理と思ったのだとすれば、昔から、中国と朝鮮だけが世界だと思う傾向があったのかも知れません。
こうしてみると、直ぐ近くの日本で長年違った政治制度があったのに、これをまったく気付かずというか無視して、中国と朝鮮だけで妥当していた専制制度を普遍の政治制度だと論じる朱子学ってレベルが低いことになりませんか?
(勿論、ひとつひとつの論理は緻密で、私などがとや角言う能力もありませんが、もっと大きな次元の話です)
格物致知は、今の言葉(西洋哲学)でいえば、認識論(認識方法論)のようですが、朱子学はありのままの客観的な認識論ですから、社会矛盾に対する変革の思想にはなりません。
それどころか、現在社会秩序を万代不易の真「理」と見なすのですから、超保守そのものでしょう。
これでは発展性がないということで、その後に朱子学に対抗して生れた陽明学のほうでは、認識者の主体性を重んじる方法を提唱します。
これは、後世西洋の大哲学者カントの認識論に似ていて、画期的なことだったと思います。
ちなみに「純粋理性批判」とか「実践理性批判」などの翻訳語は、朱子学で用いられた「理」を利用したものではないでしょうか。
朱子はカントよりも600年以上も前の人ですし、王陽明はその少し後ですから、この時点では中国の方が哲学的には進んでいたのではないでしょうか。
ただし、この陽明学の考え・・認識方法では、社会秩序は万代不易でなく、見る人によって相対的になりますから、体制変革に馴染みやすいでしょうから、体制からは嫌われます。
こうして朱子学と陽明学は対立抗争状態で推移するのですが、陽明学は元々体制からは嫌われる危険思想だったのです。
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