11/22/05

義理人情近松の世界)2

朱子学によれば、人間社会にも、宇宙の真理のように万代不易の秩序があると言うのかも知れませんが、中国では、たまたま秦の始皇帝以来、万代不易の如く専制君主制が続いてきたからに過ぎません。
わが国のように社会秩序のあり方・政治体制自体が、時代の進展によって次々と変わって来た国では、実際の社会秩序は万代不易のものではなく、そのときどきの社会の約束事でしかないうえに、勝てば官軍と言うように強い者が勝手に造っていることを誰でも知っています。
ここで義理の「義」について少し考えてみましょう。
「義」は正しいことのようでもありますが、その用法を見ると、「主義」「正義」「社会正義」、「義務感」と言う熟語から分るように、元々「義」が加わると社会的な評価を経た正しいことになるようです。
算数の足し算や引き算の正しい答えとしての正解の「正」に「義」がくっつくと、社会・・・・・政治というフィルターを通した「正しいもの」或いは「正しかるべきもの(主義)」というファジーな意味合いが強くなるのです。
 「義務感で○○する」というとき、本心からでないことを意味するのです。
世上「権利には、義務が伴う」と言われますが、ここで使われる「義」も本心から「務」ではなく、
   「社会の約束ごとだから、守れよ!」
と世間が押し付ける意味が濃厚です。
こうした日本人の考え方からすれば、社会秩序をあらわす用語として朱子の言うとおり「理」を使うにしても、社会の約束事の意味を付加した「義理」と言う熟語にしてやっと市民権を得たのでしょう。
義理で表現される社会秩序は、社会の約束事であって不易の真理ではありませんから、   
 「時代の進展変化によって変わっていくべき秩序」
と言う語感が強いのです。
こうして庶民はしたたかにも、理に対し、正義の内の正を付加するのではなく、義の方をくっつけ、情に、もっと幅のある「人」をくっつけます。
義理と人情の相克と言うとき、人情は人である限り変えようがないが、約束事でしかない義理のほうは、社会の変化に合わせて変えていくべきではないかという主張を含んでいることになるでしょう。
今でも、義理の父・義理の母と言うとき、本当は違うが、約束事でそうなっているだけと言う意味合いでしょう。
朱子の言う本来の真理を表す「理」は、明治以降西洋の自然科学が入ってきて理科・物理などの教科書用語で、本来のところを得たようです。
朱子以前の理については、09/22/03「日本国憲法下の総理 7(憲法35) 「新しい酒は新しい皮衣に7」前後のコラムで、大理石や理髪師などの例を引いて連載しました。



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