11/22/05
朱子は、宇宙全般が理によって出来ているとは言ったものの、11月21日・・・・・1「朱子学 4(理気二元論 2)」のコラムで書いたように、儒学の基本的関心は政治秩序のことであって、その他の自然界の秩序や宇宙も同じだと言う程度だったかもしれません。
或いは、宇宙の原理は万代不易であるように、社会秩序もそう言うものだという程度の宇宙論だったのかもしれません。
このように、引き合いに宇宙論や自然論が論じられただけでは、その後の自然科学の発達が進まなかったのは当然でしょう。
そこで、理の具体的議論としては、引き合いに出された宇宙から始って、人間社会における理の具体的な現れとして、君臣・父子の上下秩序 を強調することになります。(名分論)
これは そのころ存在した専制制度や社会組織をありのまま(万代不易の宇宙の真理の如く)肯定し、分析しただけではないでしょうか?
この名分論だけと言うか、これを中心にした朱子学が林羅山に採用されて、徳川政権の官学になったことをすでに紹介しました。
理とは、このように宇宙や社会・人間関係のあるべき姿(結局は政治・社会秩序です)として措定されますので、 この考えが定着した江戸時代には、世の中が窮屈になります。
日本社会は、中国や朝鮮と違っていつも内部変革して動いている社会ですから、江戸期も100年近くも経つと当初出来た社会秩序との矛盾がじわじわと国民に認識されるようになってくるのです。
こうして「義理と人情」の相克を描いた人形浄瑠璃・・近松ものが元禄年間(1688〜1704)に大当たりするのです。
近松は社会秩序そのものの矛盾を批判したものではなく、公金横領(今でいえば、金融・為替業かな?)など、元々どのような秩序であれ許されない犯罪と、心中などを組み合わせていますので、政府も禁圧する必要を感じなかったでしょう。
しかし、底流には庶民の現秩序に対する不満のよどみがあって、それの代弁としての役割をになっていたので、単なる犯罪ものとは違って、大うけしたものでしょう。
ちなみに、日本では何でも2文字熟語にしないと落ち着きが悪いので、「義」と「人」を付け加えたものです。
この付加の仕方も日本的です。
日本人は、現在の社会秩序が朱子の言う「理」そのものではないと言う意味をこめて、「義理」と言い、情についても人の気持ちはもっと奥深いものだと言う意味をこめて人情と言ったのでしょう
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