11/21/05

朱子学 4(理気二元論 2)

ところで、朱子学では、折角宇宙を客観的にとらえる思想が生れたのに、その後アジアでは自然観察術が育たなかったのは何故でしょうか?
朱子の後に、これが発達していれば、西洋よりも早く近代科学が発達して行けたと思えるのですが、残念なことです。
私が思うには、儒学の一部としての理論だったから、その限界があったのではないでしょうか。
その点では、朱子学批判から発達した王陽明の陽明学も、儒学の内部論争でしたから限界があったように思います。
日本では、平賀源内などの好奇心の固まりみたいな人物が出ていますが、中国では真面目人間ばかり・・儒学内の既存のテーマに絞った研究者ばかりで、はみ出しが出なかったようです。
11/10/05「変質・常習犯罪の解決5(学者=?研究者の責務2)」のコラムでも書きましたが、研究者と言うものは既存のテーマを精緻に研究するばかりではなく、既存テーマ以外のものを研究してこそ、社会が大きく発展出来るのです。
朱子は全体の体系処理に必要な限度で、宇宙論を書いたけれども、宇宙そのものには、関心がなかったのではないしょうか。
学者や研究者の関心と言っても、国民一般が関心のない分野に及ぶことはないのです。
どんな変わりものと言っても、その住んでいる社会全体の関心・・必要性に規定されるものです。
(変人奇人といっても、その社会が有する関心の内、少数派に属するかどうかだけのことでしょう。)
国民一般の関心(少数派も含めて)が、自然界に行かなかったのは、古代諸子百家の時代には黄河流域だけの舞台で中原に鹿を追っていたので、星の運行に関心がなかったのと同様に、朱子は長江流域の人ですが、矢張り内陸の住民でした。
河は、いくら幅が広くても星の運行を観察する必要までありません。
そのうえ、宋代以降はモンゴルや満州族に支配されて、農業国家化していくなかで、農業用の暦の作成の必要性くらいで、それ以上に宇宙に対する実用的関心が育たなかったからかもしれません。
実用的関心があれば、これに対応した学問が育つものなのです。
ところで、01/15/04「長恨歌3(虚無縹緲の間とは?)」のコラムで、孟浩然の詩では、大気のことを「虚」と表現していたことを紹介しました。
我々が、空気とか大気或いは気持ちが良いとか言うようになったのは、朱子学の理気学以降かもしれません。



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