11/19/05

朱子学とは2(君臣名分論

そこで朱子学の中身ですが、大雑把に見て行きましょう。 朱子学の存在論
それまでの儒教は、具体的な倫理道徳を説くことを主な目的としていましたが、朱子 はそうした倫理道徳を支える合理的な世界観・・・理論的基礎を構築したらしいのです。
わが国の受け止め方では、儒教とか孔子の教えと言われても、その場その場の処世術・・・・・・・恐れ多い例え話ですが、私が法律相談で御託を並べるのに類似するような印象で受け止めている方が多いでしょう。
「これが学問だとか、宗教の一種言われてもねえ・・」と言う人が、増えてきたのです。
中国でも、社会のレベルが上がってくると、単に礼儀作法や処世術を教えるだけでは、国民が納得しなくなったのでしょう。
10月1日のコラムでも書きましたが、わが国は宗教でも、
    「葬式はお寺で、初詣は神社で」
と分業しているように、日本では儒教は幕府公認ですから、裃を着たときに使うもので、哲理は仏教系でと分かれていたように思います。
お医者さんも、国民は漢方と西洋医学を適宜使い分けているのと同じでしょう。
そこで礼儀作法や、ハウツウものだけでなく、学問と言えるような体系にしたのが、朱子学と言うものではないでしょうか。
折角朱子が壮大な理論体系を作ったのですが、わが国では儒教と言えば、処世術・・・ハウツーもの程度の受け止め方しかないまま、今日に至っているのは何故でしょうか?
林羅山が、朱子学のうち難しい理気学の導入をせずに「名分論」という君臣分際論だけを導入して官学に仕上げたからだとも言われます。
勿論、林羅山1人が学問の輸入独占権を持っていたわけではありませんから、いろんな人を介して全部はいってきていたのでしょうが、一般には分り難いのと、徳川政権に都合が良いので、君臣分際論を中心に据えるカリキュラムにしただけでしょう。
(勿論、私の勝手な推量ですので、あまりあてにしないで下さい)
10/01/05・・・1「李氏朝鮮(1392〜1910)の成立1(儒学への距離1)』でも書きましたが、日本の武家の慣習法は、「御恩と奉公=ギブ&テイク」を基礎とするものでした。
日本の武家の慣習法と朱子学の君臣論とは微妙に違うのに、徳川家に都合良く  
     「君、君たらずとも臣、臣たらざるべからず」
などと、君主が君子でなくとも、臣下は臣下の分際を守るべきだというのですから、こんな不公平な理屈を教えられても、武士も白けるばかりだったでしょう。
こうなれば、臣下=国民は義務感だけで仕方なしに学びますので、本気でありがたく思わなかったのは、仕方がありませんし、これを受け入れる歴史経験・社会的下地もなかったのです。
これを、いきなり儒学でなく儒教だと言われても、え?宗教だったの?と驚いたり、ピンとこない国民が今でも殆どではないでしょうか?



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