11/18/05
人口の3割も働かない社会・・・・しかも折角頭のいい階層がみんなで揃って働かないで、礼儀作法ばかりに頭を使っていたのでは、実学が軽視されるのは当然です。
(この後にも書きますが、比ゆ的な表現であって、儒学は礼儀作法だけではありません。)
そこからは、新しい工夫も生れませんから、李氏朝鮮では社会が停滞し、経済的に持たなくなっていたのが分るでしょう。
西洋のキリスト教では、清教徒や宗教改革以後の新教徒が労働の尊さを説いたのが知られていますが、労働に対する考え方に限ってみれば、儒教では西洋の宗教改革以前の状態のままだったのです。
孔孟の教えから分るように、儒教の対象は、もともと王侯貴族或いは最低でも士大夫クラスまでの階級の者に対し、身の処し方を説くものでしたから、それ以下の下々向きの道徳としては、せいぜい身分秩序維持・礼節の重視くらいしか思いつかなかったのでしょう。
朱子学によって、古代の儒教からかなり改革されて、王様以外の身分秩序の流動性が認められるようになっていたことは、10/04/05「専制君主制の完成1( 宋代の儒教思想の変化)」で紹介しました。
それでも朱子自身が、上流階級ですから、せいぜい身分の流動化までしか思いつかず、庶民の生き方などは眼中になかったのでしょう。
しかし、身分の流動化を認めれば、本来ならば庶民の生き方まで目が行くのは、時間の問題であった筈です。
ところが、身分の流動化と言っても、士大夫から上だけの身分の流動化だったので、何時までたっても庶民の具体的な生き方(労働といわれるもの)にまで目がいかなかったのでしょう。
朱子学については、この後の朱子学自体の説明でも少し詳しく書きます。
わが国では武士階級の勃興によって、国民全部が地に足の着いた思考方法になっていたのに対し、(地に足のついていないのは御公家さんみたいと今で言われるほどの例外です)中国や朝鮮では、地下人である武士階級の勃興がなかったことが大きな違いでしょう。
中国や朝鮮では武士階級の勃興がなかったことが原因で、勤労を尊ぶ思想家が生れる土壌がなく、朱子以降朱子のような大物が出られなかったのかも知れません。
そのうえ、朱子の思想が、権力者に都合よく取り入れられたことも、その後の思想発展阻害の原因かも知れません。
こうして以後中国では、朱子のような大物が出る幕がなくなります。
ほぼ同時期に、知行合一で知られる王陽明の陽明学も成立していますが、これはむしろ日本で官学である朱子学に飽き足らない骨のある学者の心を捕らえたのです。
中江藤樹や、熊沢蕃山などが有名ですが、大塩平八郎の乱で有名な大塩も隠居後陽明学の熟を開いていたのです。
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