11/18/05

李氏朝鮮3(儒教社会の停滞3)

李氏朝鮮の話から大分逸れて、最後の大院君の時代に飛んでしまいました。
話を10/01/05「李氏朝鮮2と儒学(国民性とは?1)」の続きに戻します。
李氏朝鮮時代の科挙制度は、文人を出す文科と武人を出す武科で構成され三年に一度行われていたと言われます。
四書五経だけでなく、後には日本語や中国語の翻訳技術、医学・陰陽学などの雑科が存在し、科挙は基本的に良民(普通民のことです)全体に門戸が開かれていました。
しかし、これを受験するためには、それなりの経済力が必要だったので、結果的に科挙試験に合格して官僚になれたのは、両班階級が大多数だったらしいのです。
科挙の説明に、何故両班の説明が出て来たかの意味が、やっとお分かり戴けたでしょうか?
李氏朝鮮では、科挙試験の受験階級が事実上固定されてしまった結果、両班階級が事実上官僚機構を独占し、特権階級になってしまったと言うわけです。
しかも儒教道徳では、思想的に守旧的だったと言うだけでなく、貴人は泥だらけになって働くのは恥かしいこととされていました。
中国の絵画を見れば、分るように儒者は帽子(冠)を被り、木靴を履いて長い袖の緩やかな衣を着ているばかりか、両手を左右の袖に差し込んでいて、両手を剥き出しにしないのが普通の姿です。
漢詩に言うところの「長衫」は、これだけではなく貴人一般の姿でしょうが、儒者の格好はその一種でしょう。
日本でも、中国から文化渡来した最初のうちは、冠が流行りましたが、直ぐに烏帽子で分るように小さな形だけのものになってしまいましたし、長袴などは儀式のときに着るだけになり、実用生活からは姿を消してしまったのです。
彼ら知識階級は、儒学の影響で、現場で働くことを卑しんでいたのですから、結果的に新しい事象に接する機会が少なかったので、総合的に進歩や変化には親和性がなかったのです。
そのうえ、はじめのころは3%前後しかいなかった両班階級ですが、終わりころには人口の33%前後に上っていたというのです。
国民の3割が特権階級で、しかも儒教道徳のために懐手で生活するのを良しとし、箸より重いものを持つのを恥とする文化になっていたのです。



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