11/17/05
欧米の植民地では、ことさらに王族を立てて旧体制のまま・・・後進国のままにとどめておこうとする政策が原則であったことを、10/16/05「西洋の植民地支配と王制存続(または創設)1(閔妃)」以下、中東の王制の紹介などで連載してきました。
(これに関連して、アメリカの政策変更を紹介してきましたが、それまではと言う意味です。)
これに対し、日本の場合、戦後の東南アジアでの進出でもそうですが、できるだけ現地の発展に資するような形でやってきたのです。
これが、アジアの雁行的発展を生み出した原動力であることは、疑いのないところでしょう。
欧米のように、植民地は飽くまで植民地のままで・・・・「無智蒙昧なままよい」と言う発想は日本にはありません。
日韓併合は、これまで書いて来たように一緒に近代化しましょうというところから始っていますので、日本本土同様に学校制度を朝鮮全土に普及させるなど、その他の制度を急速に近代化して本土並みに近代化・・朝鮮社会の発展に努力して来たのです。
学校制度は、長い間にはその民族の宝となりますが、当面はお金だけ食う大変負担の大きい制度ですが、この一事を以ってしても、出来ることはみんな本土並みの制度を持ち込んで近代化に努めていたことが分るでしょう。
欧米の植民地で、このような政策・・本土並みの学校制度を作るなど・・・採用して来た国があるでしょうか?
ロシアの属国化になろうとした動きも、ロシアとしては、朝鮮の近代化よりも旧態依然のままの体制の方が支配しやすかったのと旧体制維持の保障が得られる王朝側とで意見の一致を見たに過ぎません。
ただし、このとき朝鮮人みんながロシアの属国になろうとしたのではなく、勿論内部で骨のある人材がいて、政府から弾圧を受けながらも、日本と手を組んで自国を近代化しようとしたグループがあったことを、日露戦争のコラムで既に書きました。
日韓併合は、こうした朝鮮内の勢力争いと絡み、近代化勢力の要望によって実現したものでした。
ロシアの属国になっていれば、ずっと学校制度もなく旧制度のままになっていたでしょうが、旧体制の権力者にとっては、ぬるま湯に浸かった状態で気持ちがよかったのでしょう。
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