11/16/05

明治維新成立李氏朝鮮による承認問題

ついでの話ですが、「王と皇帝」の呼称の違いへのこだわりから、明治維新後もなお、朝鮮は徳川体制しか認めないと言い張って、明治政府の成立承認を拒否していたのです。
李氏が清朝の属国としての「王」でしかないのに、明治政府が、「みかど」の称号を天皇と言う「皇帝」を表す漢字を使っていることに対し、僭越で許せないと言うこだわりが強かったようです。
「中国以外の国が皇帝を名乗るのはおかしいですよね」と、中国に同意を求めれば、朝鮮の言うとおりになるでしょうから、例のアジアの常識に反することになり、日本ははアジアの孤児・・大げさに言えば、世界の孤児・・非常識と言われてしまうでしょう。
こうしてみると、朝鮮は昔から中国の気に入るような主張をしては、日本を非難していることが多いように見えます。
世界といえば、中国、朝鮮、日本の3か国しかない時代には、中国のお先棒を担ぐ朝鮮の主張がいつも正しいことになる関係で、いやらしいやり方です。
子供の世界で言えば、いじめっ子のお先棒を担ぐ子がいますが、似た役割でしょう。
こんな訳で、何かと朝鮮はうるさい国で、こんな「しょうもない」ことにこだわって、国交がもつれにもつれていたのが、明治初年の状況でした。
これが、征韓論にまで発展した下地でしょう。
朝鮮から言えば、日本は野蛮国だから、漢字の意味も分らない国だと言う見方で、一方的に蔑んでいたのでしょう。日本としては、「漢の倭の奴の国王」と言われて喜んでいたころは、中国に成立した王朝から冊封される関係でしたが、その後自立性を高め、聖徳太子のころから独立国でとおして来たのですから、当たり前の表現です。
白村江の海戦以前から、中国の冊封国家ではなくなっていたことは、西暦600年に入ったばかりのころに「日いずるところの天子・・・・」と言う聖徳太子が出したと言われる国書(これは実在です)の表現でも分るでしょう。
(聖徳太子が実在したか否か問題はありますが・・・兎も角そのころの倭の支配者が出したのです。)また、太子と言う称号も昔はなかったでしょうから、ウマヤドの皇子とも言うのですが、それにしても聖徳太子が実在したのかどうか疑問です。
これは歴史学者による専門的議論があるようですから、私はただ疑問があるようだと言うだけです。



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