11/15/05

日韓併合14(大韓帝国成立滅亡

ところで李氏朝鮮と合併したのに、何故「日韓併合」と言うのか気になる方が多いでしょうから、少し解説しておきましょう。
閔妃は(ミンピ)ロシア公使館に逃げ込んだときにどういう訳か、則天武后のように国号を大韓帝国と変更してしまっていたからです。
それまでは、「李氏朝鮮」としか言いようがないことからも分るように、明朝、清朝の冊封国家でしかなかったのですから、対外的国号が正式になかったというべきでしょう。
この国号宣言(1987年)と同時に、「皇帝」宣言もしたので、呼称面では独立国として完成したのです。
ただ、漢字にこだわっただけで、物事が解決したように思うのは、観念的朝鮮人の面目躍如と言うところです。
これは、文字通り看板だけ取り替えて表面を糊塗しようとする姑息な方法でしたから、真に近代化しない限り、改革派の支持を受けられなかったことを、11月2日・・・・・・3「日韓併合9(日露戦争と朝鮮人の協力)」前後のコラムで紹介しました。
大韓帝国をもう少し説明をしておきますと、これは1897〜1910年のわずか13間だけの朝鮮の国号ですから殆どの人が、知らないのです。
秀吉の朝鮮出兵のときも宗主国の明軍が出てくれましたし、大院君によるクーデターのときには袁世凱が助けてくれました。
このように太古以来?頼ってきた宗主国の清朝と日本の対戦で清が敗れて、清朝は朝鮮半島に対する宗主権を放棄してしまったのです。
日清戦争後,宗主国と頼る清朝の敗戦で普通でも混乱する所ですが、元々清朝派と日本はとの争いがあったのですから、国内政治の混乱は極まります。
強まる一方の反政府運動を乗り切るために、李朝は国号朝鮮を大韓帝国,国王を皇帝とあらためるなど,独立国の形式を整え宗主国がなくとも1人でやって行けるとの権威をしめそうとしたものでした。
ちなみに、「王」と言う称号は、皇帝から冊封された属国の王の称号ですから、独立国の場合は皇帝でなければならないと言う漢字の意味にもこだわっていました。
ちなみに、現在の大韓民国の国号は、大韓「帝国」を大韓「民国」に改めただけのことです。
他方、朝鮮人民共和国の国号は、言うまでもなく、李氏朝鮮の朝鮮を流用したものです。



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