11/15/05

日韓併合13(伊藤博文安重根

日本びいきの人たちを無視できず、日本は、まず朝鮮半島での教育投資から始めて行くのです。
2004年10月26日の「教育の個別化3(民営化のすすめ5)名古屋市予算から・・1」のコラムで具体的な数字で紹介しましたが、名古屋市の市民税の半分が市の教育予算になっているのです。
しかも今政治問題になっているように、義務教育費の半分は国庫補助金があるのですから、実際はその倍もかかっていることになります。
名古屋の例からも分るように、学校制度などは、ものすごく費用がかかり、しかもその効果たるや、長い時間をかけてその民族のレベル向上に役立つだけです。
搾取を前提とする欧米の植民地政策から見れば、考えられない善意の投資です。
この一事をもってしても、日韓併合は押し切られ型か、善意に基づくのものであったことが分るでしょう。
合併反対論者の重鎮であった伊藤博文が、(当時は既に明治維新の生き残りはわずかでした。)朝鮮人安重根に暗殺されてしまいます。
これで反対論の重鎮がいなくなったのと、暗殺に対する世論の反発などで、一気に併合論が圧倒的になるのですから、歴史は皮肉なものです。
(安さんは併合を早めるために、テロをやったのかどうかを私は分りません)
これに加えて、信長の時の足利義昭同様に、高宗はしきりに密使外交をして、日本を刺激します。
義昭は、あちこちに密使を出して信長の足元をすくおうとして暗躍し、信長の逆鱗に触れて、遂に追放されてしまいます。
こうして足利幕府が滅亡したのです。
国内投資優先かどうかの問題がありましたが、高宗の暗躍などで放っておく訳に行かなくなった日本は、やむなく、1910年日韓併合に追い込まれてしまったと言う所でしょう。
李氏朝鮮以来の朝鮮の政府はこのとき滅亡し、再び皇帝から日本の王族の一つとなるのです。
(李氏は「王」にこだわっていたのですから、皇帝よりも王の方がすわりが良かったかも知れません。)
ちなみに、長年日本に敵対してきた大院君は、日清戦争以降ミンピがロシアに近づいたのに対し、大院君は、その逆張りで、日本に誼を通じていたのですが、この功労かどうか知りませんが、大院君の系列は、高宗とは別系列の王族として遇される事になったようです。



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