11/14/05
日本が、天智天皇のころからアジアでの孤立化と同時に農業主体社会化に変化していったのに対して、中国古代は商業主体社会であったと、9月ごろに連載してきました。
中国も、宋代以降農業社会化が進行し、科挙制度が完成していったことを書いている途中でしたが、宋代では商業主体思想が、まだ幅を利かしていたのです。
日本の歴史でも、日宋貿易(平清盛)や日明貿易(足利義満)が有名ですが、日元貿易や日清貿易と言う言葉を聞いたことがないでしょう。
日本の歴史では、たまたま日本の当時の君主が貿易に熱心だった面だけ取り上げられますが、貿易は相手があってこそ成り立つものですから、当時の相手国も貿易に熱心で御互いに意見の一致があったということなのです。
じいっさいには、そんなに偶然が重なるものではありませんから、多分一方からの働きかけがあって、これに対し、たまたま清盛や義満には素質があったので、呼応したというところではないでしょうか。
しかし、牧畜を本職とするモンゴルによる征服後(本当は、もう少し前の金による北宋征服以来です)・・すなわち元朝(チンギスハーンから3代目です)以降中国は、表向きの思想でも完全な農業主体国家に思想変えしていたのです。
モンゴル支配以来清朝滅亡までの約700年間もの間、農業主体思想民族の支配があって、(途中漢民族の明朝がありました・・・鄭和の海外遠征はこのときです。)社会も実際に農業社会化していたこともあったので、農業主体気風が天然のことのように染み込んでいたのでしょう。
更に、共産政権成立後は、農業主体国家であったソ連が御手本でしたから、いよいよ農業主体思想からの脱却が遅れたのでしょう。
中ソ対立以来、中国は独自性を進めるのですが、その最たるものは、農業主体からの脱却であったのかもしれません。
その行き着く所が、開放経済への移行だったのでしょう。
開放経済政策後は、商業国家への変身中ですが、モンゴル支配以来約800年に及ぶ農業主体思想の影響を完全にぬぐい去れるのは、まだまだ先のことではないでしょうか?
そして現在なお、経済的にも軍事的にも、さして必要のないチベットから抵抗運動され、国際批判に曝されながらでも細かな領土欲にこだわっているのは、農業主体国家特有の貪欲主義の伝統が未だに遺伝子となって残っているからでしょう。
関連ページリンク
©2002,
2003, 2004, 2005, 2006 稲垣法律事務所 ©弁護士 稲垣総一郎
Design
/ Maintained by Pear Computing LLC
