11/14/05
辛亥革命(1911)以来の政権は、異民族支配の清朝を倒した漢民族政権と言う触れ込みですから、本来は商業主体民族なのですから、領土欲に乏しい筈です。
しかし、周辺異民族による支配時代に農業・牧畜社会的思想が刷り込まれ、この時代に当然のように出来上がった「異民族吸収型+国土拡張」の思想を、清朝を倒した漢民族も無批判に踏襲しているのが現状ではないでしょうか。
辛亥革命については、漢民族が異民族支配を打ち倒したという民族主義的解説が中心で、その意義としては、民族自決や、西洋風に改組しようとする点だけでしか理解されていないように思われます。
しかし、もっと長いスパーンで考えれば、辛亥革命は、周辺異民族による農業主体思想社会から、漢民族得意の商業主義社会に回帰する点にこそ、政権奪回の意味があったといえるのではないでしょうか。
ところが、農業主体思想(「農は国家の大本なり」)は、あまりにも長い期間の支配思想であったために、その肝腎の変更すべき点に気づかず、西洋思想の取入れ・西洋的政体への変更の成否だけが、政権転覆の目的だったように誤解されていたのでしょう。
少なくとも毛沢東時代の国家政策は、農業を主体にして工業国家を建設をする発想だったように見えます。
集団農場や国営工場の発想は、農業主体社会的発想の産物でしょうし、そのモデルとしたソビエット連邦も農業主体国家でしたから、よけいその方向に傾いていたのでしょう。
ところで、清朝が欧米列強に食い荒らされたので、清朝を弱体な王朝の代表のように思う方が多いでしょうが、実は中国歴史上で見ると、清朝は版図の広さを最大にした王朝であって史上最大の強国だったのです。
(世界歴史地図をご覧下さい)
清朝は、強かったと言うだけでなく、農業主体民族でしたから版図の拡大に熱心だったからなのです。
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