11/02/05

日韓併合7(属国志向朝鮮1)日露戦争

朝鮮内の保守派は、日露の戦争になれば彼我の国力差から、ロシアが当然に勝つと思っていたでしょうから、
   「日本と組んで独立国を選ぶのは危険だ」 
   「ロシアの保護国になったほうが良い」
との、「大人の」判断があったのでしょう。
閔妃が日清戦争前には、清朝の軍閥袁世凱と組んだときも、(大院君によるクーデターのときに)現に自分を助けてくれたのは袁世凱であって、        
       「政変のときに、日本は助けにもならず、逃げ帰っただけだった」
と言う実績からの判断が、大きかったでしょう。
一方朝鮮内の改革派は、これで息を潜めてしまったわけではありません。
彼ら進歩会は、そのころには、李氏朝鮮自体の改革による独自の改革を諦めるようになったのですから、この点は体制派の思惑通りだったのです。
彼ら改革派が頼りにしていた閔妃自身が、体制維持派に変わってしまったので、現体制変革による改革を諦めた代わりに、韓日合邦を目指すことに方針を変えたのです。
ちょうど、幕末期に体制内改革を諦めて、島津家などが左幕から討幕運動に切り替わったのと似ています。
ただ、ここでの朝鮮との違いは、日本では幕末に左幕・反幕の手切れになっても、飽くまで外国勢力と直接手を結ばなかったのです。
(徳川家も自分の権力維持のために、フランスの応援を求めませんでしたし、無血開城しました。・・・そこが評価されているところでしょう。)
朝鮮では、それぞれの勢力が、日本・ロシア(日清戦争前は袁世凱)と直接関係を持っていたことでしょうか?



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