11/01/05
スポーツで言えば、自己流の型が出来てしまってから、プロに習うのが難しいのと同じでしょう。
中国や朝鮮の科挙・官僚制は、儒教の習得向きに出来上がっていましたから、明治維新以降に創設された日本の官僚制のように、西洋の合理主義的近代技術や学問・思想を取入れることには向かなかったのです。
明治維新以降の教育改革を2003年秋に連載してきましたが、日本でも、儒学系の学問は、事実上廃止されてしまいました。
清と朝鮮では、同じ政治体制で長年来たのですから、その体制が時代遅れになったときには、同じ対処方法が必要だったことになります。
中央集権化して対処した日本とは逆に、専制君主制+官僚制のぶち壊しの方が先決だったと言えるでしょう。
一旦、国の屋台骨をガタガタにして、牢固とした官僚制を根こそぎなくしてしまわない限り、新しい出発が出来なかったともいえるでしょう。
スポーツでもプロのコーチにつく時には、我流の型を一旦壊してから習うのと同じです。
ここ数日、中国の国共内戦、朝鮮の朝鮮戦争の甚大な被害を紹介してきましたが、今になってみると結果論ですが、当時の政治家の責任と言うよりも、誰が出ても歴史の必然・・・・・・産みの苦しみであったのかもしれません。
病気でもそうですが、ある人の治療で成功したからと言って、体質や病歴の違う別の人に同じ薬や治療方法が当てはまるわけではありません。
中国の歴史でみると、秦朝のガチガチの法治国家から、混乱の末に天下を統一した韓の劉邦の取った政策は、
「法3章のみ」
と言う簡素なものでした。
これに対し、三国鼎立時代に蜀の統治を始めた諸葛孔明のとった最初の政策は、厳正な法治主義でした。
これが
「泣いて馬謖を斬る」
と言う故事につながるのです。
その違いを聞かれた孔明は、前任の太守の政治が弛緩していて国を滅ぼしたので、その後を受けた自分たちは綱紀を厳正にする必要があると答えるくだりがあります。
このように経過して来た政治形態によって、とるべき政治の方法が違うべきなのです。
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