11/23/04

羅卒から巡査へ3(司法省から内務省管轄へ)

羅卒隊の隊長から、羅卒総長になっていた川路利良が、警察制度の創始者となっているのは、前回の流れから(部下を失業させられない)見て自然の成り行きと言えるでしょう。
こうして治安維持機能から出発した羅卒隊何千人が主力となって、そこに従来の同心、岡引きが取り込まれたものと考えれば、捜査機関が司法省の管轄から新しく出来た内務省の管轄下に入ってしまったのが理解し易いでしょう。
11/15/04「膨大な警察官が必要か?1(同心との比較)」のコラムで既に紹介しているように、江戸時代の同心は民刑あわせてわずかに200人あまりですから、旧来の捜査機関に羅卒を吸収したのではなく、治安機関に捜査機関が吸収される結果になったのです。
勿論トップの川路自身、捜査経験がないのですから、職務の主眼が治安一筋になり易い面もあったでしょう。
このとき、捜査機関が司法省管轄から内務省管轄に変更され、この体制は、敗戦(1945年)まで続くのですが、主務官庁が変わったこのときから警察の主目的は、治安維持、思想統制などと変わり、泥棒などの検挙はおまけと言うことになりました。
今でも、「治安関係が主流でエリートコ−ス」と言う感覚が内部で強いのは、そうした歴史があるからでしょう。
江戸時代には、ご存知のように寺社奉行は別にあり、しかも大名旗本などの争いは目付け大目付の管轄でしたから、町奉行は庶民間の裁きが目的であって(遠山の金さんでも大岡越前でも、庶民の争い解決が中心です)結果的に治安にも役に立っていただけのでした。
明治以降は、表向きも庶民のための警察ではなく、治安維持・権力維持のための警察そのものになってしまったわけです。
その上、司法機能だけならば、従来200人足らずで間に合っていたものを、1挙に何千人に大量増員ですから、彼らはそれなりの仕事をしなければなりません。
こうした背景から、西南の役でも、川路の組織した巡査隊は活躍し、熊本城の落城を防ぎ形勢逆転になりますが(ただのお巡りさんグループがそんな活躍が出来ませんよ!)この1事を見ても、犯罪捜査機関でなかったことが分るでしょう。
こうした大きな戦闘は別としても、マッチポンプの走りみたいで、自由民権運動など盛んになってくると、山形や各地で、積極的に騒乱を扇動する密偵の潜入事件が多くなってくるのです。
神風連か佐賀の事件か忘れましたが、中央の意を受けた密偵が扇動して起こそうとしたと司馬遼太郎の本に書かれているほどです。
西南の役の発端となった密偵潜入事件は、川路が送った密偵でした。
次々と起こすべき騒乱は、内部に送った密偵が扇動して起こさせて、結局全部つぶしてしまったのですから彼の戦略は成功したとも言えるでしょうが、大きな騒乱予備軍がなくなると今度は細かく小うるさく市民の監視に目が向いていきます。
何しろ役人は、仕事はしたがりませんが、自らの仕事(縄張り・権限拡張には熱心です)を作り出すのがとても好きです。
川路を警察制度の創設者として関係者は偉大視しますが、わが国の健康的な発展にとって大変な悪影響を及ぼした人物といえるでしょう。
喜劇台本の検閲をテーマにした「笑いの大学」と言う映画を見てきましたが、そこでも「警察は民衆のためにある」というよりも、「国家権力維持装置として、如何にして市民を監視するか」と言う役割を担ってきた様子がリアルに描かれています。




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