11/22/04
彰義隊と羅卒・・・巡査・探索
ついでのついでに、何故いきなり「羅卒」と言うものが出来たかと言いますと、警察制度創設者の川路利良は、薩摩の与力の子供でしたが、鳥羽伏見の役から続く戦役で、羅卒隊(足軽)の隊長として活躍したことに縁がありそうです。
彼は与力出身ですから、足軽階級ではありません。
岡引きが羅卒に組み込まれて行った経過を考えると、維新当初=江戸城開城後の江戸市中の治安維持が焦眉の急だったことに話が行ってしまいます。
いつの時代でもそうですが、城の陥落(旧権力機構崩壊)直後と言うものは、今のイラク同様、従来の警察組織だけではどうにもならないために、軍政がしかれるのが普通です。
旧幕臣が既得権維持その他の思惑で、最初の内は旧幕臣からなる彰義隊がその役割を担うと称して武装解除に応じなかったのです。
イラクのように異民族の場合は、アメリカも権限委譲せざるを得ませんが、日本のように同一民族内の争いで勝者、敗者が決まったあとで、敗者がなお、市中の治安権を掌握するなどはありえないことですから、(敗者がうごめくから治安が悪いだけですから、いなくなってくれた方がよいのです。)結果的にご存知のとおり上野の山で玉砕してしまいました。
天下を取った薩摩藩では、彰義隊に代わる治安機関として、地元から足軽階級を大量募集して羅卒隊を組織して、上京させたわけですが、この経緯から分るように、羅卒隊は文字通り、巡邏することが本職で、犯罪捜査機関として発足したものではありません。
あえて言えば、犯罪予防的な職務(警邏の語源的役割です)で、不穏分子があればそこで一戦を交えると言う軍事能力も併せ持っていたのでしょう。
ま、陣地戦を主目的とする正規軍事力と犯罪捜査を目的とする警察との中間的な組織と言えます。
どちらかと言うと、対ゲリラ、残敵掃討部隊と言うところでしょうか?
彰義隊も旧幕臣ですから、犯罪捜査能力などはありませんし、市中見回り・鎮圧目的の軍隊でしたから存在自体自己矛盾でした。
江戸の治安回復は早期でしたから、(今のイラクのように長期抵抗勢力がなかったので、彰義隊がいなくなってすぐ平常な市民生活に戻ったのです。)この羅卒隊の仕事がなくなってしまいます。
そこで、私の想像では羅卒隊の処遇問題が起きてきて、これを似たような仕事である警察機構に転用したのが警察制度の始まりではないかと思うのです。
役所・公的施設その他ある分野の廃止を決めるときに、いつも問題になるのは、そこで働いている人たちの処遇です。
現在の郵政民営化も、公団・公社全てそうですが、結局名を変え目的を変えてしぶとく生き残る原因は、いつも同じです。
日本住宅公団が、順次名称を変え目的を変えながら現在に至っていることは、10/29/03「相続分3(民法105)(配偶者相続分の変遷1)(ホワイトカラー層・団地族の誕生)」のコラムで紹介しました。
羅卒隊を存続させるために、羅卒隊に犯罪捜査と治安維持の両機能を持たせたときに、捜査のノウハウのある岡引きや同心と合体したものと思われます。
関連ページリンク
稲垣法律事務所コラム内:ゆとりに関するコラム
稲垣法律事務所コラム内:憲法に関するコラム
稲垣法律事務所コラム内:裁判に関するコラム
稲垣法律事務所コラム内:マスコミに関するコラム
稲垣法律事務所コラム内:国家に関するコラム
稲垣法律事務所コラム内:政治家に関するコラム
稲垣法律事務所コラム内:刑罰に関するコラム
稲垣法律事務所コラム内:刑務所に関するコラム
稲垣法律事務所コラム内:刑法に関するコラム
©2002,
2003, 2004, 2005, 2006 稲垣法律事務所 ©弁護士 稲垣総一郎
Design
/ Maintained by Pear Computing LLC