11/21/04
岡引きはどうなったか?2(番人から羅卒・巡査へ)
岡引きなど(のならず者)を、警官の前身と言うとイキナリ警察官に格上げしたように感じますが、この説明は飛躍がありますので、この辺で正確に書いておきましょう。
明治当初は、すぐに警察制度が出来たわけではなく、町内会の自警団のようなものが出来て、番人(自身番屋の人という意味か?)とかいろいろ言われていました。
自治体警察の萌芽ともいえます。
これが以下に述べるように全部国家公務員になっていくわけですが、一般には自治組織の自前では資金的に行き詰まったことも一つの原因であるともっともらしくと言われていますが、自治体だと資金がなくなり、国家だと資金があるというのはおかしな論理です。
同じ国民の税金でなり立っているのですから、どちらを育成するかと言う国家戦略の問題でしょう。
今の国税と地方税の取り合い(3位1体改革)同様の古典的問題ですが、国策として資金面から締め上げれば、自然に自治組織は崩壊します。
中央集権を目指した明治政府・大久保・川路利良ラインが税金面で締め上げたからでしょう。
これに加えて、岡引き以来の問題点である民間任せでは、綱紀が守れないなどの事情もあったので、これを大義名分として、川路利良が主導した警察システム(内務省)が出来上がった時(明治6年帰朝ですから6〜7年ころ・1875年ころです)に羅卒と、まとめて公務員に昇格したらしいのです。
ところで、岡引きが公務員になるのは内務省が出来たときからだと思いますが、川路が西洋視察に出かける前の明治5年には、彼は東京の羅卒総長に就任しているとも言いますので、羅卒という名称はもっと前からあったようです。
羅卒などと言うと、悪鬼羅刹(地獄の人食い鬼)に似た発音ですし、何となく閻魔大王の周りに立っている恐ろしげな髭面のイメージですが、本来は「羅」というのは巡羅の羅(網羅の羅で網の目のように細かく見て廻ると言う意味でしょう)であって、「卒」はいうまでもなく兵卒と言うのと同様に足軽の明治的呼称です。
そうは言っても、、川路利良が薩摩から1000人規模で募集した羅卒は、語感からして粗暴な感じですので、粗雑な田舎侍向きのイメージにもぴったりです。
これなら、ほんのちょっとだけ格上げされた(ま、給与が保障されて生活が保障されたくらいかな?)イメージが分るでしょう。
こうして生活保障面から、質の向上を図り、ゆすりたかりをなくそうとしたようですが、簡単には変わりませんので、のちに与力出身者を警部として監督体制を整備したようです。
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