11/13/04
捜査機関の民営化=2足のわらじ3(町奉行と火付け盗賊改)
こうして江戸時代の目明しや岡引きのように、ヤクザ周辺人物で警察と連携した特定グループが出来てくると大変です。
報奨金で民間の力を利用するようになると、彼らの非合法な行為に対して、警察の協力者だからと違法行為に目をつぶったり、軽い処分しかしないことになりがちです。
また、公認された(今はそのしるしが十手ではなく、後述の☆印でしょうが・・・・)特定グループが、事務所を設け、そこへさしあたり来てくれ(出頭要請)という事が普通になってくると、そのヤクザの組事務所(江戸時代で言えば自身番屋)で事実上監禁や暴力が可能になってしまいます。
(新撰組の屯所を思い起こしてください)
こうなると本来の犯罪捜査で呼び出したのか、あるいはヤクザの本業として、言いがかりで金にするために呼び出したのか区別が難しくなってきます。
それに、犯罪捜査であったとしても、公務員たる警察では出来ないような、非合法な監禁や乱暴な取調べを黙認することになりがちです。
(金を包んで穏便にしてもらう、市民側からの動きも起きますし、積極的な金の要求も起きるでしょう。。)
極端に言えば、違法な脅しで、(自白しなければ、おまえの家族も捕まえるとかいろいろあるでしょう)泥を吐かせてから、警察が逮捕し、その後の取調べを可視化する時代が来た場合を考えると、人権保障から見れば却ってマイナスです。
番外の捜査機関の歴史を見ると、もっと古くは、令外の官(本来の律令制ではありえない番外の官と言う意味です。)といわれる検非違使が有名でしょう。
(源為義が検非違使庁の長官だったと記憶していますが・・・・・。)
さらに言えば、武士そのものの始まりを見ると、政府の治安対策に任せて置けないので、自衛のために私兵として発達したものです。
その私兵の頂点として、公認されたのが検非違使庁長官だったでしょう。
テレビや映画で有名な鬼平犯科帳で知られる「火付け盗賊改め」の制度は、寛政の改革時に松平定信が、ヤクザ出身とも言われる(ハッキリしませんが、)浪人者の長谷川平蔵を取り立てて作ったと言われています。
はじめから、ヤクザっぽい人材登用で始めたことから分るように、幕府の正規システムである町奉行に任せていたのでは、どうにもならないので、途中から番外として出来た制度のようです。
既に何度か書いていますように町奉行所も、正規の公務員・旗本では無理だろうということで、責任者の奉行は旗本でしたが、その配下は番外の公務員として、浪人を与力・同心として臨時雇いで始めたものでしたが、寛政のころには、彼らも、時間の経過で心底から公務員になってしまったのです。
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