11/11/04
警察の必要性・・・日米比較2(映画7人の侍の下地)
我が国でも庶民にとって、アメリカのシェリフ同様に目明しの必要性が有ったのでしょうか?
わが国では、江戸の庶民はこれと言った財産もなく、長屋住まいでは、竈さえなかったと言われます。
今の中国も似たようなもので、至るところで外食しています。
その上に江戸っ子は「宵越しの金は持たねえ!」というわけですから、泥棒にはいっても、落語じゃないけれど、「そこに箪笥があるつもり」「よいしょっ・・・と荷物を担いだつもりって」ことになりかねません。
屋台や夜鳴きそばなどの外食が、流行ったわけです。
家具もないし、泥棒や詐欺被害に遭うこともなかったので、庶民から見ると自分を守るために警察の必要性が低かったのです。(警察と言う文字自体、お上のためのものです。)
では、地方の農民や地主階級はどうだったでしょうか?
貨幣経済罪がそれほど発達していなかったことと、(米を盗んでも、その処分をすれば、直ぐ足がつきます)、幕末騒乱期でさえ、西洋人が治安の良さに驚いているくらいですから、地方ではなおさら、何十年に1回も大事件が起きなかったでしょう。
ちなみに黒澤明監督の「7人の侍」が世界的に有名ですが、私の思うところ、わが国には、恒常的に山に棲みついている山賊集団などは存続しようがありません。
戦国時代といえども、各戦国大名の領内では、領主の威令が行き届いていたのです。
部落で用心棒を雇わねばならないほどの無法集団が、継続的に存在したら直ぐに討伐されていたでしょう。
暴力団でもそうですが、組織を継続するためには、継続収入がなければ維持できません。
山賊集団が継続的に存続するには、その土地の領主権の行使(支配下地域から継続的な貢物が必要です)以外にはありえないのです。
継続的貢納を求める存在は、領主主権と相容れない存在ですから、どこの国でも、違法集団が長期間にわたって存在するのは滅多にありません。
私の頭で考えられるのは、宋時代の水滸伝・梁山泊くらいですが、彼らは違法な強盗行為をしていたのでは有りません。
わが国の天保水滸伝(国定忠治)もそうですが、庶民の支持が有ってこそ一定期間持ちこたえられるのです。
世界史的に見ても、領主主権に対して恒常的・長期に存在する敵対集団として存在(並列)していたのは、アメリカの統治権がはっきりしていなかった時代の、開拓集落に対するインデイアンくらいです。
(私はインデイアンを違法集団・山賊と言ってるのでは有りません。)
このように考えていくと、わが国ではそうした史実・経験がないのですから、山賊が長期にわたって住み着いて農民から継続的に食料を強奪していく筋書きを骨子とする映画「7人の侍」はおかしなものです。
「7人の侍」を翻案してアメリカでは、「荒野の7人」という映画が出来ていますが、本当は、「7人の侍」の方が、西部劇からヒントを得て侍ものに仕立て変えた発想だった可能性があります。
だからこそ、外国で理解し易かったのではないでしょうか?
これは、いつものとおり、私の思いつき解釈であって、何の権威もありません。
黒澤ファンに怒られるかな?
私は7人の侍の「着想」の基礎について述べているだけであって、映画のすばらしさをトヤカク言っているのではありません。
関連ページリンク
稲垣法律事務所コラム内:ゆとりに関するコラム
稲垣法律事務所コラム内:憲法に関するコラム
稲垣法律事務所コラム内:裁判に関するコラム
稲垣法律事務所コラム内:マスコミに関するコラム
稲垣法律事務所コラム内:国家に関するコラム
稲垣法律事務所コラム内:政治家に関するコラム
稲垣法律事務所コラム内:刑罰に関するコラム
稲垣法律事務所コラム内:刑務所に関するコラム
稲垣法律事務所コラム内:刑法に関するコラム
©2002,
2003, 2004, 2005, 2006 稲垣法律事務所 ©弁護士 稲垣総一郎
Design
/ Maintained by Pear Computing LLC