11/10/04
アメリカのシェリフと日本の警察の違い1(マスコミの中立3)
テレビ映画の発達とともに、昭和30年代後半ころから、むっつり右門捕り物帖に始まり岡引きや目明しは、銭形平次や半七捕り物帖(とどめは長谷川平蔵の火付け盗賊改めでしょうか。)などで、取り締まり側が善玉としてイメージされるようになってきたのです。
その後は、旅からすの渡世人主役の映画や物語は、影をひそめました。
その結果、私よりも10〜20年以上の若い世代にとっては、目明しや岡引きは、善玉としてイメージされるようになっているのですが、実態は逆だったのです。(黒でも白にしてしまえる程、テレビの威力は偉大ですよ〜。)
昭和30年代中ごろから、こうした価値観の大逆転が、何故マスコミ界で起きたのでしょうか?
いわゆる55年体制の確立、自民党の安定政権の成立と関係が有るのでしょうが、政府やマスコミ側から言わせれば、国民が左翼の扇動に踊らなくなっただけだと言うかも知れません。
マスコミ界と書きましたが、テレビ以前は、物語の供給は、書籍や新聞と映画が中心(浪曲も威力があったかな?)で、放送業界は微力でした。
ご存知のように、映画界は、戦後かなり反骨精神のある監督や芸能人が身を投じていたのです。
むしろ、どちらかと言うと反政府的思考の人が、多かったかもしれません。
これに対し、新たに勃興したテレビ業界は、政府の監督下に発生したもので、言論的には過激なことは出来ませんでした。
放送業界が政府の監督下にあることは、平成16年7月23日から8月初旬にかけて電波法の中立性の連続のコラムで紹介しました。
「電波では、国民に与える影響が大きいから中立でなければならない」ということですが、そんなことを言い出したら、「書籍も映画も影響が大きいから中立にしろ」、「いや、デモ行進も影響が大きそうだから中立のデモにしろ」、「有名学者や野党政治家の発言も中立でなければならない」などとなってきたら、マン画になってしまいます。
「中立にしろ」と言いながら政府の都合の良い方向ならいいのですから、中立論は結果的に政府広報機関にな危険が大きいのです。
マスコミを中立にする必要性が仮に有るとしても、野党に対しては謙抑的に、政府権力者に対する批判はかなり多めにやるのが、本来の中立ではないでしょうか。
ところで、アメリカでは、保安官(シェリフ)を自分達の町で選任する伝統があって、この歴史を踏まえて、検察官や裁判官さえも地元の選挙で選出される仕組みです。
要するにアメリカでは、自分達の権利を守るために警察(シェリフを保安官と言い、ポリスを警察と翻訳するのは間違いでしょう)が発達したのですが、わが国では権力作用・取締り機関として発達してきたもので、まったく歴史が違うのです。
シェリフを保安官と訳しているようですが、これは、明治期ないし戦前の官僚国家に適合するようにアメリカでの実態的役割に反して、翻訳したものでしょう。
私は造語能力が低いので、現在存在する訳語の範囲で、シェリフの役割にあうように適当な語を持ってくるならば、保安官よりも護民官に近いと思いますがどうでしょうか。
ここでは、便宜、世間の翻訳にしたがって保安官と言いましょう・・・・・・保安官などを主役にした西部劇、(例えば映画「真昼の決闘」はゲーリークーパーの主演する保安官の話です。)あるいはニューヨーク市警を舞台にした刑事もの映画が、アメリカで発達するのは、史実に合致しているのです。
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