11/08/04
江戸時代の捜査機関2(取調べの可視化と目明し・岡引き2)
教育刑の立場から論じる死刑問題と同じで、(「全然同じじゃあないよ」と言う意見もあるでしょうが、私は関連があると思うだけです。)拷問の許可申請をするのは、これだけの証拠がそろっているのに、取調官が理詰めで説得できない説得能力の低さ・すなわち無能力の自己証明となります。
そこで、担当者が上部機関への許可申請をためらって、江戸時代にも公式には、殆ど拷問は行われなかったそうです。
拷問のルールについては、12/12/03「会津の悲惨2(刑務所の歴史1)」でも少し書きましたし、この連載のもっと先にも拷問が出来る場合のルールを紹介しますが、公式には拷問その他の取調べ方法は、法的に厳重な制約があったので、公式には滅多に利用できなかったのです。
そこで、便宜目明しなどを利用して、彼らは役人ではないところから、自身番屋と言う役所ではないところで、闇で非合法な取調べをしていたのです。
正式な逮捕ではないので、逮捕要件や期間、勾留期間の制限もありませんし、拷問のルールも適用されません。
何しろその段階では、正式な逮捕ではない・建て前上は役所の知らないことですから、やりたい放題になります。
11/04/04「保釈2(刑事訴訟法10)」のコラムで紹介しましたが、現在で言えば、任意調べと言う名称で、何回でも呼び出す取調べ方法があります。
10数年ほど前に、ある詐欺事件で任意調べと称して、毎日朝早くから夜遅くまで警察に事実上拘束されて調べられている事件がありました。
わたしは、家族からの依頼で、面会に行って、「逮捕するならしてくれ」直ぐ「逮捕しないなら連れて帰る」と言って、無理やり警察から連れ戻したことがあります。
08/23/03「令状主義3(刑事訴訟法3)」外、これまで繰り返し、逮捕拘留の仕組みの説明したように、正式に逮捕すれば、拘束期間の時間的制限があるのですが、逮捕しないで事実上「言ううことを聞かないなら逮捕するぞ!」と脅されながら、何日も呼び出されているのでは、無制限になってしまうからです。
幕府としては、岡引きや目明しの利用を禁止しているのですから、そうした機関は実際に存在しているのに、公式にはないことになっていたのです。
私が「黒子」と表現するのは、このためです。
岡引きや目明しの不祥事が表ざたになったときだけ、「大変遺憾なことだ」と声明して、「今後非合法な組織を利用しないように厳しく指導します。」とか言ってれば、足りるのです。
話を取り調べの透明化に戻しますと、自白偏重の裁判システムのままで、「取調べの可視化」を貫徹していくと、江戸時代の焼き直しで、非合法な拷問、取調べが潜行する危険があるのです。
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