11/06/04

盟神探湯(くがたち)から、自白へ、自白から客観証拠へ

長年、というか、太古以来「盟神探湯・くがたち」「誓湯」(うけひゆ)などの神判をしてきたことは、07/06/03「刑事訴訟法 2(除斥、忌避)」のコラムで紹介しました。
これを廃止した後には、合理的な証拠法則がなかったために、自白しか頼るものがなくなっていて、有罪認定には、何が何でも「自白が必要」と言う法則が支配していたのです。
今から考えれば、「自白だけが有罪に出来る証拠である」と言われると、おかしな、非合理な制度だと思う人が多いと思いますが、自白を必要とする法制度・思想は、ご神託だけに頼る神話時代からみれば、かなり進歩的な制度だったのです。
自白の必要性が確立すると、病理現象として、「自白さえしなければいい」というずるい人が出てきます。
他方で、これをなんとかして、口を割らせようとして自白を求める技術としてのいろいろなテクニックの開発のほかに、テクニックでは及ばない、(テクニック負けを自認するようなものですが、)容疑者に対する最後の手段としての拷問が公認されるようになってきたのです。
しかし、拷問で自白させるのでは、自白しているのだから犯人だろうと言う前提が崩れてしまいます。
それでは、人権思想の有無にかかわらず、国家の刑事制度として成り立ちませんから、拷問にも証拠のあるときに限ると言うルールが生まれてきたのです。
こうして、客観証拠の収集が、江戸時代を通じて訓練されてきたともいえるでしょう。
ここまで来れば、客観証拠だけで有罪無罪の認定をする時代が、目前まで来ていたのです。
人権思想の結果ではなく、時代の進展がそうなってきたのです。
ところが、そうは言っても旧来型の見込み捜査にこだわる人も一杯いますし、そういう人にとっては、ルールどおり客観証拠のある場合だけしか拷問が許されないのでは、見込み逮捕した容疑者の自白は得られません。
そこで、公式ルートに乗る前の段階で闇で拷問して自白させてから、公の場に引きだして、いかにも綺麗に調べたことにするようなことがまかり通るようになったのが、目明し、岡引きの番外の制度でした。
現在でも、取調べの可視化と言っても、自白させてからの可視化では所詮むなしいことになります。
古代では「盟神探湯」(くがたち)「誓湯」(うけひゆ)や「卜占」なども、今から考えれば非科学的、幼稚ですが、自白以外の客観的な証拠を求めたまじめな結果だったのではないでしょうか?
わたしは、自白に頼らない客観的な証拠法則を定めたとしても、古代の神判に戻るわけではなくて、今では科学的な証拠収集が可能であると思うのです。
また、当初は少しの不備があっても、その努力をすることによって、技術が磨かれていくでしょう。




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