11/01/04

同心4(士分と足軽)

そのそも、士分と足軽の区別や、徒士と騎馬が許されるか否かの区別は、軍事行動を基本にした社会で意味のあった区別ですから、軍事と離れて治安に専念する分野の与力、同心で、士分がどうのという詮議すること自体意味の無い議論かもしれません。
人家の密集した江戸市中で、犯罪捜査に騎馬で駆けつけるなどを想像してみただけでも、まったく実用的ではありません。
もっと考えれば、本当に戦闘のあった戦国時代には、足軽大将(真田昌幸は、武田軍団の足軽大将であったように記憶していますが・・・?)は勿論のこと、足軽組頭も士分であった可能性があるのです。
要するに、戦国時代(と言っても終わりのほうですが、)には、足軽隊かどうかは、階級差ではなく、機能的に分類されていただけで、現在の歩兵か戦車隊かの区別でしかなかった可能性があります。
平和な時代になってからの方が、却って足軽かどうかの区別がうるさくなっただけかもしれないのです。
同心が公的に雇ったものを小者といい、銭形平次捕り物帖などでおなじみの目明し、岡っ引きなどは私的に使っていたものでしかなく、しかも、公式には、使用を禁止されていました。
ただ、禁止令に反して公然と使われていたようです。
与力や同心、小者などを今の制度に引きなおすと、与力は、現在の裁判官と(奉行は、今の裁判所長の感じです)検察官に、同心は、今の検察事務官または、裁判所書記官、国家公務員たる警察官(警視以上)、その下の小者は、裁判所事務官、検察庁の取り調べ、捜査に関与しない事務官にあたり、岡引きや目明しが、今の地方公務員たる警察官・巡査と言うところでしょうか。
現在の警察の不祥事その他の問題点の遠因をたどると、ヤクザ組織その他アングラ組織とつながりのある岡引きや目明しを公務員に昇格させたところにあるように思えます。
岡引きや目明しの問題については、次のコラムで紹介しましょう。
同心も組屋敷は八丁堀にあり、100坪程もあったそうですが、その殆どを町人に貸して生活費を補い、自分はその奥に住んでいたと言われます。
現在で言えば、自宅の前庭を切り取って駐車場にして貸している人を見かけますが、こういう人は「同心」の子孫かも知れません。
ですから、昔は家屋敷が広かったと誤解している人が多いですが、結構ちんまりと住んでいたのです。
このことは08/14/04「旗本とは(与力14)」で旗本の屋敷割りを紹介しましたが、上級武士と言えども、外形上大きな屋敷ですが内部に大勢家族で住んでいたのですから、窮屈な生活でした。
中国の四合院住宅と、外形は同じです。
同心には、定町廻、隠密廻、臨時廻の3種があったそうです。




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