11/01/04

江戸時代の裁判5(同心3)

108/07/04「与力(9)(京都所司代)配下」のコラムで書いたとおり、与力というのは町奉行配下に限りませんので、そのうち町奉行与力に属する同心は、南北町奉行に各100〜120人で合計200〜240人程だったそうです。
役格は年寄役、増年寄役、年寄並、書物役、物書役格、添物書役、添物書役格、本勤、本勤並、見習、無足見習の11に分かれていたと書かれています。
ただし、私のような法律家(物事をきっちり知りたい性質です。)から見れば、これは江戸時代を通じてどの時点を言うものなのか、きっちり書いて欲しいものです。
初めからなのか、それとも途中の何回にも亘る改正があったのではないか?
(250年もあったのですから当然途中の変化はあったでしょう)
始めはどうだったのか?何時から何時までどういう役があって何時から、どの役が増えたとか、ハッキリしないと精神的に消化不良と言うところです。
一般的な法制史では、経過まで克明に書けないとしても、この11の役職は何時の年号のときか、程度を知りたいものです。
同心も一代限りの抱え席と言われていましたが、実際には世襲であり、幼少の頃から見習として奉行所に勤め、他に転出することは稀にしかなかったそうですから,専門化が進んだのです。
このことは、世代間のワークシェアリングの参考にすべき例として、今年の2月20日ころに連載しましたのでワークシェアリングなどのキーワードで検索してください。
与力と同心の関係は、はっきりとした上下関係で同心から与力に昇格することはありえなかったと思われます。
200石と30俵では格式が違い過ぎますが、(1石は10斗すなわち2俵半ですから、500対30の割合ですから、比較にならないほどの身分差があったのです。)何事も例外はあります。
同心と与力とは、士分と足軽の違い、あるいは上士、中士と下士の違いに匹敵したようですが、同心の身分は何だったのか、私には今のところ詳しくは分りません。




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