11/17/03

相続と世襲4(民法115)債権3

こういう債権関係の大きな変化に敢えて目をつぶり、100年前の債権債務関係を前提にして譲渡性の有無を説明する本が多いのは考えものです。
こうした議論は、債権の説明のときに譲るとして、財産権のうち、債権は、今でも法律上も事実上も譲渡性がない分野が多いと思われているとだけ分かっておいてください。
まして、つい最近(人類の歴史から見ればほんの最近です)と言うか前近代では、物権の観念もなく、何事も人に対する要求権、人に対する支配権と観念されていたと言われていますので、なおさら「代替わりすれば、関係なくなる」という印象が強かったのかも知れません。
現在の法でも、すべて相続できるのではなく、『一身専属権」は除かれています。
要するに、今考えている財産権の殆どは一身専属的な権利であると思われていたのです。
財産権と言う概念自体があったかどうかさえ怪しいので、「地位」の承継と言う概念で包摂していたのでしょう。
このため近世までは、貸し金でさえ「個人的なものでないのか」という考えで相続できるかどうかが議論の対象になっていたようです。
今でも、何かと権利義務までいかない世話になっていた場合、一種の借りがありますが、それは生きている間のことで、死んでしまえば、その子には、ホンの義理で恩義を返すだけでいいというのと似ていますね。
相続制度は、長い間に地位の承継・世襲と言う漠然としたものから、社会生活上、人に対する権利と物に対する権利が分化し、さらに人に対する権利でも、徐々に譲渡性のある分野が増えてくるに連れて、(財産の客観化)世襲から相続へと観念が変わってきたように思えます。
世襲制度は、明治政府の成立によって天皇家と華族を除いてなくなりましたが、財産権に関しては、現在でも遺族が自動的に承継することになっていることは、変わりません。
ところで、自動的に承継すると言う意味では、むしろ江戸時代よりも強力かもしれません。
と言うのは、江戸時代は、世襲制度といわれてはいますが、事実上そうであったと言うだけであって、法的には、殿様のお目見えによって後継ぎが認められる制度だったのです。
大名と将軍の関係は、将軍家から領土を貰った譜代の臣は言うに及ばず、自力で領土を勝ち取った外様大名であっても、将軍の代が代わるごとに領地安堵の朱印状が交付される制度でした。
また、大名の代替わりにも、その都度将軍家からのご朱印状が下される制度(この儀式がお目見え)だったのです。
これを、債権債務の角度から見直しますと、奉公と忠節は、今の(明治時代制定の民法)雇用の前身ですから、今よりも、もっと譲渡性がなかったのは当然です。
それどころか、一身専属的な関係と考えられていたでしょうから、相互に主従関係を続けるかどうかを、再確認する必要があったと見ることが出来ますね。
現在及戦前の相続制度では、国家や誰かの承認がなくとも、被相続人が死亡した瞬間に、相続人が相続すると言う構成です。
ただし、現行法でも、一身専属的な権利を除いていますので、一身専属的なものを承継するには、相手の同意が当然必要、即ち新契約が必要となります。
江戸時代或いは大昔からの世襲との違いは、ただ、一身専属的な権利の範囲がどんどん縮小してしまい、今ではほとんどなくなっていると言う程度かもしれません。
明治になって、ファジーな部分を整理して世襲がなくなった代わりに、支配権などをそぎおとして財産権に特化した分、相続権がかえって強力になっていることが、お分かり戴けたでしょうか。 
次のコラムから、現行法の条文を紹介しながら解説しましょう。




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