11/11/03

相続と世襲2(民法112)

制度としての世襲は現在なくなったとしても、事実上の世襲はどうでしょうか?
国会議員の世襲が騒がれていますが、江戸時代に限らず、何時の時代の世襲を取ってみても、今の衆議院議員の世襲と大差ないように思うのです。
古代から、江戸時代までを通観しても、世襲制度とは言うものの、一族の長または、一家の長としての地位こそは、世襲されていますが、(これとても北条家のように、執権職を一族内で輪番的に回していた例がいくらもあります。)公的地位は、藤原氏の摂関家でさえも、貴族の最下位(5位)から順次昇進して摂政関白に上り詰めて行く方式でしたし、その他の貴族も出発点は違っても同様に競争で上がって行くのです。
世襲と言っても、法的な制限はごく僅かで、殆どが事実上のものだったのです。
藤原家、或いは平家全盛時代でも、平家の公達が出世したのは、清盛の威光による事実上の権力によるものに過ぎませんでした。
こうしたことは、今でも閨閥などでよく指摘されるところですし、都知事の石原慎太郎の親子の関係もそうですね。
一定の家柄に生まれても、同僚がいてその競争に勝ち抜かなければ、出世できないのは、大卒だから、或いは、高級官僚になったからといって、みんなが次官や社長になれないのと似ています。
また武家社会においても、大名、御家人等は、家督は相続するものの、幕府内の役職までは相続できず、そのものの器量によって幕閣で昇進したりしなかったりと言うもので、公職まで世襲するものでは有りません。
あえて言えば、ある家の家督を継げば、最高行っても奉行までとか、重役まで、或いは城代家老まで上り詰められる「家柄」「家格」を世襲する、と言う程度でしかありませんでした。
出世の枠が法的に決まっているとしたら平等原則に反して現代社会では問題です。
そこで高らかに、法の下の平等を謳いあげる必要がありますが、実際は事実上のものが殆どだったのです。
世襲制の最盛期の江戸時代でも、世襲出来るのは、自分の家だけであってそれ以上ではなかったと言えるようです。
将軍家は将軍職、大名家は藩主としての領内統治権、5000石の旗本は、その家臣を含めた統治権を完全に承継できるものの、対外的には、能力主義の競争があったので、家柄が良くても出世できないものは出来ないのです。
逆に家柄が悪いと能力があっても一定以上に出世できないと、言われていましたが、ものには例外があって、古くから、養子、猶子の制度が発達していて、真に能力があればまわりが放っておかないのです。
桂小五郎なども養子でした。
大名、将軍家その他家とその周辺のファジーなものを完全に相続できるというだけならば、今でも自分の家は、遺族が100%相続できることは同じですが(今でも他人は相続できませんよ)、今の家には、財産以外のその他のファジーな特典が滅多について来ないだけではないでしょうか?
今でも事業以下の家を継げば、経営権がついてきますよ。
こうして見ると世襲と相続の違いは、法制度がどうなっているかではなく社会的に、親から受け継げるものが、(家?)純粋財産権にどの程度特化しているかという程度の問題だけかも知れません。




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