11/10/03
相続税法 8(相続と世襲1)(民法111)
相続税と言うものは、「社会生活している以上は当然にあるものだ」と無意識に考えている方が多いと思いますが、実はそうではなくて、日本の長い歴史から考えると、ほんの最近出来た(消費税みたいもの)制度なのです。
幕府が決めたに過ぎない鎖国制度を、幕末期には、日本古来の法であると、朝廷や日本中が誤解していたくらいで、(尊皇攘夷とは、そう言う程度の思想です。)ほんのちょっと制度が続くと空気か水のように思い込むものですね。
そもそも相続とは何でしょうか?
現在の相続とは、人が死ぬと、その遺族が、その被相続人の持っていた一切の権利を、(一身専属性は除いて)何の手続きもなく、当然に承継するものです。
これが時代によって、財産だけでなく公的地位(官職までは相続できません))までも承継する制度が、世襲制度と言われるものです。
漢の時代に匈奴に対する牽制策として西域の大国烏孫国に嫁した漢の公主(皇帝の一族の娘の呼称・皇帝の娘だけではありません)が、身の不幸を嘆いた詩があって、烏孫の王・昆莫が死亡すると、その後継ぎの王の妻になると言うしきたりだったと言われていますが、これも相続の一種だったのでしょうか?
こうした例は、チベットに嫁した唐の太宗の公主の場合も同じです。
ここで、世襲と相続の違いに付いて、少し考えてみましょう。
現在言われている相続は、被相続人の財産権だけ(厳密には祭祀主宰権の相続もありますが、今は殆ど価値がありません。)で、その他に付随するものは、事実上の利益でしかありません。
これに対し、世襲制度と言うのは、財産権も含んでいるとしても、その周辺に付随するファジーなもの一切を相続し、それの大部分が法的制度にまで高められている場合をいうのではないかと思います。
古代には、ファジーなものが中心であって、財産権のほうは殆ど重要性がなかったのに対し、時代の進展に伴い、財産権の比重が高くなって来たようです。
ファァジーなものの価値が低下し、周辺事情に押しやられて、明治政府では、制度として世襲が残されたのは、天皇家と華族制度だけでした。
国民の中で華族以外は、世襲制度を廃して相続だけとなったのですが、それでも純粋財産権だけではなく、家督相続制度でしたので、対外的な地位は世襲できなくとも大家族への統制権その他のファジーなものは、残していたのです。
大名家のような大きな家がなくなっただけとも言えますね。
後に書きますが、江戸時代の世襲と言っても、大名家、将軍家、旗本、等々、すべて自分の家とそれにまつわる権力を世襲しただけで、公的な官職までは世襲していなかったのですから、家の制度を創設して全国民に及ぼして、家督相続を認めた明治民法は、まだ世襲的感覚を残していたのです。
戦後の民主化で家制度が、なくなり、祭祀主宰権の相続を除いて純粋財産だけを相続するようになりましたので、世襲から相続への脱皮が殆ど完成したと言えるでしょう。
前記のように祭祀主宰権だけが残っているのですが、せっかく残した祭祀主宰権も今では、誰も見向きもしなくなってきつつあるのです。
ただし、つい最近、私が後見人をしていた事件で、相続が開始したときに長男が葬儀を主宰するか親の世話の中心になってきた姉が主宰するかの話し合いをしたことがありましたので、祭祀主宰権に関心がないわけではありません。
こう言う場合でも、付着する無形利益の争奪ではなく、面子の争いが多いのです。
面子だけですから、あと少しすれば押し付け合いの時代が来るでしょう。
この意味では、現在は、世襲制度の時代から相続の時代に完全に変わったと言って良いと思います。
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