10/30/07

均分相続ととたわけ防止1(民法355)

戦後の民法の改正で、制度上だけ均分相続になっただけではなく、均分相続の思想による遺産相続が行き渡って来ますと、家督相続的相続希望者からの、巻き返しが起きてきます。
一つは、農家たわけ防止の為の、贈与税の繰り延べに関する特例法の制定です。
ちなみに、馬鹿を意味する「タワケ」の語源をご存知でしょうか?
ここで言う、タワケ防止とは痴呆になるのを防止すると言う意味ではありません。
タワケとは、遺産分割で田を分けることで、たわけ者とはこれほど馬鹿なことはない喩えです。
しかし、「たわけ者」と言う言葉が何時ごろから出回るようになったかといえば、私の想像するところでは、江戸時代中期以降ではないかと思います。
11/05/06「人口政策と家督相続制度1」以下で紹介しているように、初期には新田開発が盛んで、タワケ・・田を分けるどころか分家するのが普通でしたから、こうした言葉が流通する余地がなかったでしょう。
ちなみに、武家の分家が廃れたのは、戦国乱世の終わった徳川時代初期からです。
徳川初代のころには、岡山池田家や徳川家の越前宰相家その他の例を02/09/04「江戸時代の相続制度 9(明治民法の時代錯誤性)」前後で紹介しましたが、まだまだ分家が盛んだったのです。
徳川の家臣でも、本多家や大久保など戦国時代に活躍した有名どころでは、何流にも分かれています。
このように、新田開発が衰退すると、農地を一定規模以下に細分化したのでは、農業として成り立たないので、田を分ける遺産相続が衰退してきたのです。
地位の承継については、分割承継には適さないことを、10/25/07「同時死亡の推定1(代襲相続3)(民法343)」のコラム書きましたが、農家も武家も家・・組織ないし事業体としてみると、事業体の最適規模以下に細分化するのは無理があります。
と言うよりは、武士も農民も自衛のために子供を生まなくなったので、うまくいっていたのですが、明治以降生めよ増やせよ政策になったので、平等分割思想のまま放置していると、文字通りタワケになってしまいます。
そこで、制度的に相続人を一人に絞るために家督相続制として、相続人を長男一人とし、その他は都会に追い出して都市労働者の供給源にしていたのです。
このように明治に庶民にまで拡大した家督相続制は、子沢山時代に対応した制度であったともいえるのです。
せっかく長男以外は都会に追い出して相続とは無関係にしていたのに、戦後の改正で、都会に出たはずの次男以下の子供も郷里の土地を均分で相続できるとなると、(敗戦時の一家の人口構成では子供が4〜5人と言うのが普通でした)家督相続制がなかった江戸時代に新田開発がなくなってから、大勢の子供を生んだのと同じタワケ問題が生じてきます。
それどころか、相続しない前提で、生前まとまった資産を貰って分の計算し直しが必要になったのが前回まで紹介した903条のみなし相続財産制度でした。
そこで、タワケ防止・・・矛盾解決策として生まれたのが、次回に紹介する租税特別措置法です。



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