10/20/07

非嫡出子とは?6(民法333)

習俗上の正式な婚姻と認められた夫婦間の子が、嫡子と言われていただけでしょう。
明治政府は、こうして、習俗上正式な結婚をしても、戸籍届出をしないまま生まれた子供は、非嫡出子として、日陰者にするぞと言う戸籍完備(兵役と徴税の為に必須でした)の鞭に使ったのです。
届出をしないものは内縁扱いにするといっても聞かないものに対しては、「生まれた子供もの一生涯日陰者だぞ!」と言うことで、さらに締め付けの道具にしたものでしょう。
今でも、子供が出来たから急いで、入籍すると言う人が多いのは、よほど明治政府の仕返しがきつかった後遺症ではないでしょうか?
一夫多妻制度の善悪は別として、江戸時代までは、庶子というのは必ずしも、道徳的に非難されるような生い立ちでは、ありませんでした。
(明治政府の理屈で言えば、豊臣秀頼は庶子ですし、徳川吉宗も、正妻の子ではありませんぞ!)
政府は、戸籍届け奨励策として戸籍届をしないままで生まれた子を、非嫡出子として日陰者扱いにしたものの、
    「罪のない子があまりにもかわいそうでないか」
    (子供を苛めるのはいくらなんでも、やりすぎだあ!)
と言う批判を避ける為に、あるいは、戸籍届けしないだけの子に対する不合理な差別を合理化するために、明治政府は、非嫡出子と言うのは、何となく、不義の子供と言う暗いイメージを一所懸命に醸成してきたように思います。
そのイメージが浸透しているので、浮気されてひどい目にあった上、相続にまでしゃしゃり出てこられて、しかも、正妻の子と同じ相続権があるなんて許せないと言う女性が多くなります。
しかし、戸籍届をしないまま生まれたのが、非嫡出子の殆どであって、妾や不義の子などはそうザラにいるものではありません。
既に書きましたが、今は別として、明治の始めは長屋の住人や小作人が人口の大半でしたし、その後工業化が進んでも都会に出てきた庶民は生きていくのがやっとで、妾まで持つ甲斐性のあるのは殆どいなかったのです。
(そういう人は、もともと身ひとつしかなくて、遺産争いが起きるようなものを持っていないのです)
明治民法は、戸籍届け奨励策として、嫡出と庶子の区別を厳格化し、その根拠として外で浮気された挙句相続権まで主張されたら、困るだろうと言う風に宣伝しただけのことでしょう。
しかし、一夫多妻制・・妾宅を構えられるような大金持ちだけが相続法制の対象ではなく、平均的労働者みんなが対象になってきた現在では、このような形の宣伝は実態にあっていないのです。



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