10/19/06

衡平法裁判所 4(コンモンローとの競合)

15世紀末になると、本来普通法の立場(先例)からは救済し得ない訴訟を取り上げて,国王の良心と慈悲を名目に正義と衡平を実現し,普通法裁判所の不備を補うことをめざした大法官府裁判所と言うものが別に生まれてきた(大岡裁きの期待ですね。)と学者が説明しています。
この点も、本当はローマ法を取り入れれば解決できたのですが、イギリスではギルドが強固で柔軟に対応できなかったのです。
他方で、イギリスでは、国王が無茶に強かったので、
「地域法であるコモンロウだけではやっていけないから、ヨーロッパ世界共通法であるローマ法を入れる」
と言わずに、
「国王の御慈悲で裁く、裁判所・大法官府裁判所と言うものを作ってやったぞ!」
とごまかしただけともいえます。
ローマから見れば、イングランドはものすごい僻地でしたので、キリスト教がそれ程国民に浸透していなかった点については、05/18/06「世界宗教の非合理化と宗教改革12(イギリスの場合1・・国教会対メアリー1世の反撃)」前後で 紹介しました。
イギリス国王ついては、宗教まで、自分の都合で、国教会と言うわけのわからないものをいきなり作って、ローマ教皇から独立して国民に押し付けてしまえるほど強力でしたから、何だって言えるわけです。
ユートピアの作者トーマス・モアがそのときの大法官で、国王の言うことを聞かず、死刑になっているのは有名です。
時代が進み、近代化してくるとローカル的旧習に基づくコモンロウでは解決できない事件が増えて来ます。
コンモンロー裁判所では、柔軟な対応が出来なかったので、大法官府裁判所の裁判の比重も増えてきますので、そこでも先例が蓄積されてきました。
そこで大法官府裁判所で言い渡される判例法が、衡平法と言われるようになって、コモンロウと並立するようになったのです。
こうして、コモンロウ裁判所とは別に、衡平法裁判所でも判例が集積して、16世紀に入って独自の法体系としての体裁を整えるようになってきますと、普通法(コモンロウ)で裁く裁判所と、衡平法で裁く裁判所があるのですから、対立関係になってきます。
どちらの裁判所に訴えるかで結論が違ってくるのですから、一つの国に、二つの法律があるようなものです。



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