10/19/06

衡平法裁判所 3

話を大岡裁きや衡平法に戻しますと、過去の先例や理屈ではどうも落ち着きが悪い事件と言うものが、たまに発生するものですが、こうした場合に落ち着きの良い解決をする別の組織が必要になったのでしょう。
イギリスで発達したエクイテイ・・・・衡平法裁判所と言うのは、みなさんには聞きなれない言葉だと思いますが、イギリスに発達した独特の制度です。
ここで少し説明しておきますと、ローマ法の伝統を継承した大陸諸国では制定法の発達が著しかったのですが、ローマから遠すぎたイギリスでは、(今では世界国家ですが、地理的にはすごい僻地だったのです。)地元(ローカル)判例の集積となって行ったのです。
即ち世界法的なローマ法に対してみれば、イギリス独自、即ちローカル法体系の社会だったともいえます。
(田舎に行けば行くほど、方言がきついのと同じです。)
その後イギリスが世界国家になったので、「経験と実務を重んじるイギリスでは・・・・・」と判例法、慣習法の発達を学者がもっともらしく説明しますが、要するに田舎過ぎただけのことでしょう。
旧習を重んじる傾向があるのは、イギリスに限らず、どこの田舎でも同じです。
当時の世界法だったローマ法ではない普通法(ローカル法)のイングランドでの定着は、それを扱う弁護士の成長を促し、14世紀の初めにロンドンで法曹学院が成立しました。
その後いろいろな小学院に分かれますが,判事・弁護士養成のためのカレッジとなり,普通法を専門とする人たちのギルドともなったのです。
イギリスでも大学では、ローマ法のよさを講義していたらしいのですが、法律実務家は、職域保護の精神から(地域慣習法には詳しいものの、新しいローマ法には詳しくないので当然反対します)ローマ法の採用には、徹底して反対しましたので、ローマ法の侵入を防ぐ役割を果たしていました。
このように普通法(私に言わせればローカル法…英米法学者によればすばらしい法制度となりますが・・)と呼ばれる法体系の判例法が確立してきましたが、確立したからこそと言うべきか、硬直した解決ではどうにもならない事態が生まれてきたと言われています。
しかし、単に杓子定規の解釈だからうまくいかなくなったと言うだけでなく、ヨーロッパの僻地にだけ妥当する特殊部族法(コモンロウのことをこういうとイギリス法の信奉者からは、きついお叱りが来るでしょうが・・・)では、大きな統一国家となった連合王国(Uk)の法としては、収拾がつかなくなったとも言えるのです。
三河の国の君主であった徳川家が、家法(分国法)をそのまま幕府法に昇格させたのに似ています。



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